旧ユーゴスラビア
Former Yugoslavia Countries

事業期間:1994年1月~2004年12月

活動地:

①クロアチア
②セルビア
③ボスニア・ヘルツェゴビナ
④モンテネグロ
⑤コソボ

 

1980年のチトー大統領の死後、ユーゴスラビア連邦共和国(旧ユーゴスラビア)は、社会主義体制から市場経済と民主主義体制へと転換し、社会・経済情勢が不安定化しました。この情勢が民族主義を助長し、1991年、不幸な出来事がきっかけとなり、内戦に発展しました。当初人々は、自らの国で武力紛争が起きるはずはない、何かの間違いかすぐに終わるはずだと考えていましたが、4年にわたる熾烈な戦闘が繰り広げられました。1995年のデイトン合意によって、一旦戦闘は終結しましたが、その後、コソボ、マケドニアでも紛争が起き、その間、数百万人に及ぶ難民・国内避難民が発生しました。

JENが旧ユーゴスラビアで活動を開始した1994年は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナでの戦闘がまだ続いており、旧ユーゴ各国に100万人、国外に100万人という数の難民・国内避難民が避難していました。長引く避難生活の中、心のケアと自立のための支援が求められていました。1995年のボスニア・ヘルツェゴヴィナの停戦合意後は、故郷に帰還してくる難民及び国内避難民の再定住が進むにつれて、人々の生活再建のニーズが高く、また、少数派民族の帰還の促進が大きな課題でした。1998年には、コソボでの紛争が激しくなり、新たな難民・国内避難民の発生、さらにNATOによる空爆、アルバニア系住民の難民化とその帰還、セルビア系住民の国内避難民化など、次々と起こる悲劇の度に、支援の届きにくい地域にも多くの難民・国内避難民が避難していました。ようやく戦火がおさまった1999年後半以降にも、破壊されつくした国の復興・再建、帰還民の再定住、難民の帰還、難民の第三国定住など多くの課題が山積していました。

中立的な立場で、その地でその時に最も必要とされる支援を

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JENは、当初からクロアチアとセルビアに5つの事務所を同時に開設することで、主要3民族(クロアチア人、セルビア人、ムスリム)に対して中立的な立場で支援するように心がけました。『民族紛争』の色濃い紛争により被災した方々の支援において、どの側にも与することなく支援することに重点を置いて、活動しました。支援の対象も「難民」や「帰還民」に限るのでなく、難民を受け入れている地元の住民や、紛争地にとどまり続けた住民など、紛争により「厳しい生活を強いられている人びと」を対象に支援を行いました。

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旧ユーゴスラビア各地で支援を行いましたが、それぞれの地域で、その時に最も必要とされる支援を行ってきました。そのため、支援内容は多岐にわたっています。国際スタッフは主に調整役を務め、特に心理学者、ソーシャルワーカー、建築家、獣医、技術指導者などの専門家は、難民や地元住民から採用して事業を行いました。これにより、多岐にわたる支援活動が可能となりました。

心理社会的プロジェクト(クロアチア、セルビア・モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ)

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紛争により家族や財産を失った悲しみから立ち直るには長い時間がかかります。また、紛争の長期化で「故郷に帰れるかどうかわからない」という不安を抱えている難民、破壊された故郷に戻ってきて、ゼロからの生活再建に不安を抱えている帰還民。それぞれの地域で様々な不安や悲しみに耐えている人びとを対象に、心のケアを目的としたグループセラピーワークショップを行いました。活動や対象年齢は様々で、編み物、スポーツや絵画などそれぞれのコミュニティーセンターで希望の多い活動が選ばれました。家にこもっていた人が、家を出ることが最初の一歩。活動に集中する瞬間があることで悲しみに向き合わずに済むひとときを提供するのが狙いです。一緒に活動する仲間と出会い、悩みを分かち合い、励まし合い、帰還や生活に関する様々な情報を共有しました。

子ども劇場(クロアチア)

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JENが1994年にはじめた最初のプロジェクトの一つです。オシエクにある現地の子ども劇場と協力して、子ども劇場、難民/避難民センター、NGOのコミュニティーセンターなどで数多くの公演が行われました。定番の「パロディー版赤ずきん」は、子ども達の笑いを誘い、日常となった辛い避難生活を忘れ、笑顔あふれるひとときが生まれました。

ゆめポッケ配布( クロアチア、セルビア・モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ)

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日本全国の親子が手作りの布袋に文房具やおもちゃなど思い思いのものを詰め、遠い旧ユーゴスラビアに「ゆめポッケ」を通して思いを届けました。毎年、日本から「ゆめポッケ」を届ける「ゆめポッケ隊」が現地を訪問して、「ゆめポッケ」を手渡すと共に、歌や踊り、スポーツなどを通して子どもたちと交流を持ちました。

薬局/移動薬局(クロアチア)

セルビア共和国との国境の町ブコバルは激戦地で、激しく破壊されていました。JENは1994年より、政治的事情により公的医療サービスの空白地帯となっていた同地で唯一のNGOとして活動しました。近郊の医療施設が紛争により破壊され、日常的に薬を必要とする人びとにとって生きるために不可欠な支援でした。

難民キャンプ運営/支援(クロアチア)

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1995年ボスニア国境沿いの地域で、国連保護軍の敷地内にあるボスニア難民を収容するトランジットキャンプをUNHCRとの協力で運営しました。この地域における唯一のNGOでした。600人に及ぶ難民が滞在するキャンプでは、食糧/衛生用品などの物資配布、トイレ/シャワーの修理、テントの設置、診療所の運営など運営全般を担いました。

高齢難民家庭訪問(クロアチア)

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ボスニア国境沿いのスラボンスキ・ブロッドで、ボスニアから避難してきた高齢難民を対象に、医師、ソーシャルワーカーによる家庭訪問を行いました。300人にのぼる対象者の数が、2004年に最後の一人となるまで支援を行いました。ボスニアに帰還できた難民の数も少なくないですが、多くは残念ながら故郷に戻ることなくクロアチアで生涯を終えました。

民族間共生促進(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

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1995年のデイトン合意後、紛争時の前線だった境界線を越えて通行することに、人々は不安を抱えていました。子どもたちによる絵画の展示会やコンピューターコースを通して、自らの故郷を一時的に訪れる機会を提供しました。1997年以降は、異なる民族が共に参加するサマーキャンプやスポーツ大会を開催し、武器を取って戦っていた民族間が再び共に生きていく、きっかけを作ることができました。

養蜂事業(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

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帰還が少しずつ進む中、平和構築/民族共生を視野に入れた収入創出事業を行いました。異なる民族がともに研修に参加し、研修後に蜂の巣箱など事業立ち上げに必要な物資が、提供されました。共有する機材は、参加者が設立した養蜂組合で保管され、異なる民族による共同作業が、事業終了後も継続される土台を生みました。

家畜配布事業(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

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2つの敵対勢力支配地域(エンティティー)の境にあることでお互いの民族が破壊を繰り返した激戦区シポボや、他の地域で帰還を促進し、帰還民の定住を支援する為に、収入創出事業として地元の人が戦前から知識/技術を有していた家畜の配布を行いました。山羊/羊/牛/豚などそれぞれの地域のニーズにあった家畜を配布しました。

マイクロクレジット(セルビア・モンテネグロ)

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難民が自らの技術と経験を生かして、自立した生活を営むことが出来る様、個々のニーズに即した活動に対して小規模の無利子貸し付けを行いました。大工や自動車修理、養蜂家、養鶏、墓石彫りなど職業は様々で、自分の技術を活かした職業を再開し、家族を支えることができることでわずかながらも尊厳を回復できたと語ってくれる人もいました。

仮設住宅(コソボ)

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NATO空爆後、続々と帰還してきたアルバニア系住民は、破壊し尽くされた故郷を目の当たりにしました。コソボは10月には零下になり、積雪も多く、家を破壊された人びとの越冬が危ぶまれます。そこで、神戸の震災で使用した仮設住宅200戸を、特に破壊の激しいコソボ北西部デチャン周辺に建設しました。帰還民は仮設住宅で越冬しながら家屋を修復しました。

コソボ避難民を対象とした緊急衛生用品配布

コソボ紛争でモンテネグロに避難した避難民を対象に、衛生用品の配布を行いました。難民の数が多いマケドニアやアルバニアに支援が集中する中、モンテネグロで支援を行った団体は極端に少数でした。国際機関は欧米で物資を調達しましたが、JENはセルビア・モンテネグロにて調達を行ったため、支援を迅速に現地に届けることが出来ただけでなく、避難民を受け入れて財政的に苦しむ地元コミュニティへの経済効果もわずかながら生むことができました。

職業訓練奨学金支援

避難した土地で、地元の市場ニーズに応えた技術を身につけるため、事前に雇用を確保した難民を対象に、職業訓練校通学のための奨学金を支援しました。具体的には、人材が必要とされていたバス運転手の免許を取得するため、バス運転教習所への通学及び免許取得の費用を支援しました。



旧ユーゴスラビアの基本情報

国名 クロアチア共和国(Republic of Croatia)
詳細はこちら 外務省ホームページ
国名 セルビア共和国(Republic of Serbia)
詳細はこちら 外務省ホームページ
国名 ボスニア・ヘルツェゴビナ(Bosnia and Herzegovina)
詳細はこちら 外務省ホームページ
国名 モンテネグロ(Montenegro)
詳細はこちら 外務省ホームページ
国名 コソボ共和国(Republic of Kosovo)
詳細はこちら 外務省ホームページ

※外務省のページにリンクしています。