レバノン

レバノン

2006年7月に武装集団ヒズボラがイスラエル兵士2名を拘束したことを受け、イスラエルによるレバノンへの報復攻撃が開始されました。攻撃は重要なインフラの全面破壊および多数の死傷者をもたらしました。レバノン人口の4分の1にあたる約百万人が国内避難民として住居を追われ、隣国シリアへの難民も一時15万人に上ったのです。8月に国連の停戦決議案が採択され、イスラエル軍の撤退が始まると、一時的にベイルート近郊やレバノン中部に避難していたレバノン人被災者たちも南部への帰還を開始しました。多くの被災者たちは元の家屋に戻っていましたが、瓦礫の山と化した建物に成すすべもなく、ガラスの破片や瓦礫を除いただけの空間で暮らしていました。こうした状況の中、JENは物資配布等による緊急支援により、現地の人びとの帰還生活の第一歩を支えました。

民族間差別のない支援

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JENは初動調査の結果を基に、南レバノン県及びナバティエ県での支援実施を決定しました。事業実施に向けて、特にヒズボラの支配地域での民族的背景の複雑さが課題としてありました。ヒズボラは単なる民兵組織ではなく、レバノンの政治・社会とも密接に結びついていたからです。内戦終結の1990年から政党の一つとして、シーア派領内での教育や医療、福祉事業にも力を入れており、域内では多くの支持を獲得していました。事業地である南東部には、たくさんの小規模都市・村落があり、シーア派の居住区が過半を占める中、キリスト教徒村落も少数ながら存在していました。JENは公平な選定基準を基に、民族間差別のない支援を実施しました。

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現地では、家屋が全壊したり、不発弾の脅威から住居に入れない被災者たちは、政府や国連が配布したテントや、廃材で建てた簡易住居で不自由な生活を余儀なくされていました。また、乳幼児のある家庭など、衛生環境の悪化がそのまま幼児の生死に関わるような場合があり、住民から衛生用品に対するニーズも高まっていました。そこでJENは、支援の手が届いていない内陸部の5村で、戦災により家屋が全半壊し、テントやトタンなどで組んだ簡易住居で不自由な生活を余儀なくされていた弱者層に対して、衛生用品208セットを配布しました。これにより、帰還民208世帯(約1,248人)の衛生状況を改善することができました。

持続される支援を目指して、管理委員会発足

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戦災により家屋が破壊された38村の帰還民約7,352世帯(約44,112人)へ、瓦礫撤去や住宅再建のための道具を配布しました。瓦礫撤去道具は、各世帯ではなく各村単位に配布を行いました。そして、各村に道具管理委員会を設立し、その保管管理と貸し出しを行いました。道具を個人や世帯に配布するのではなく、道具管理委員会が貸出しを管理することで、より多くの人びとが道具を使用することができ、支援の効果を広く波及することができました。

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管理委員会は、より多くの地域住民が道具を使えるように、貸出を促進するポスターを作製し掲示しました。また、道具管理委員会の立ち上げにより村の有力者同士が復興について話し合う機会ができ、村ごとの公共機能の復興にも役立ちました。

緊急支援物資配布(2006年8月~2007年1月)

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8月14日に発効した停戦合意を受けて、周辺国やレバノン各地に避難していた人びとが、急速に自分の家に戻って来ました。しかし、家や道路が破壊され、帰還しても、直に生活を再開出来る様な状態ではありませんでした。南部では多くの建物が破壊され、中には破壊された建物で生活している人もいました。また、充分な道具が揃っていないため、瓦礫の撤去作業は思うように進んでいませんでした。
JENは、南レバノン県及びナバティエ県で、緊急支援物資配布を行いました。タオル、バケツ、石鹸、ヤカン、洗剤、歯ブラシなどの衛生用品セットと、一輪車、シャベル、ハンマーなどの瓦礫撤去道具セットなど、現在人びとが一番必要としている物を配布しました。



レバノンの基本情報

国名 レバノン共和国( Republic of Lebanon )
首都 ベイルート
人口 422万人(2010年:世銀)
面積 1万452km2
人種・民族 アラブ人,アルメニア人,その他
言語 アラビア語
宗教 キリスト教(マロン派、ギリシャ正教、ギリシャ・カトリック、ローマ・カトリック、アルメニア正教)、イスラム教(シーア派、スンニ派、ドルーズ派)等18宗教

出典:外務省ホームページ(2013年2月現在)