アフガニスタンの基本情報

国名 アフガニスタン・イスラム共和国(Islamic Republic of Afghanistan)
首都 カブール
人口 2,860万人(2015-16年推定値、2014-15年アフガニスタン中央統計局 Afghanistan Statistical Yearbook)
面積 652,225km2
人種・民族 パシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人等
言語 ダリー語,パシュトゥー語(共に公用語),ハザラ語,タジク語等
宗教 イスラム教(主にスンニ派のハナフイ学派であるが、ハザラ人はシーア派)

出典:外務省ホームページ(2017年5月現在)

アフガニスタン西部地震被災者緊急支援(ヘラート県ジンダジャン地区のカーネル・ワルダハ村)

日干し煉瓦でつくられた家が倒壊した様子

2023年10月7日、アフガニスタン西部のヘラート県でマグニチュード6.3の大きな地震が発生し、その後も短期間のうちに同程度の大きな地震が繰り返し発生しました。最も被害が大きかったジンダジャン地区のうち、ジェンが支援を行ったカーネル・ワルダハ村では、27名もの方が亡くなり、41名が負傷しました。伝統的な日干し煉瓦で作られた家屋や建物はほぼすべてが倒壊し、強く冷たい風を遮るもののない中で、村の人々はテントでの生活を余儀なくされました。

配布時の様子

ジェンは震災発生後、地区行政や支援関係者と相談を行い、ヘラート県ジンダジャン地区で大きな被害を受けた5つの村のうち、カーネル・ワルダハ村でお二人以上のご家族を亡くされた5世帯へ、多目的現金を配付する活動を行いました。お渡しした金額は1世帯あたり28,000アフガニ(約56,000円)で、これは1世帯が約2か月間、食糧・医療・子どもの教育・交通費等に充てることのできる金額に相当します。物資ではなく現金をお渡しすることにより、各世帯で本当に必要としているものを皆さんご自身で選択し、購入いただくことができるようにしています。

ナンガルハル県で干ばつの被害を受けた国内避難民・帰還民・脆弱なホストコミュニティへの食糧・物資配布(2022年8月~2023年1月)

概要

ナンガルハル県で90万人を超える人びとが食糧危機に瀕していました。54%の子どもに急性水様性の下痢症状がある状況です。コギャニ地区、シェザド地区、スクロド地区で合計880世帯の国内避難民、帰還民、脆弱なホストコミュニティへ2か月分の食糧・物資を配布しました。また配布時に、衛生教育も実施しました。

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支援により改善されること

裨益者の98%が、受け取った食糧によって食事の量と質が改善したと回答しました。また、95%が衛生教育での学びを実践していることが、更に98%の裨益者が日常的に手洗いを行っていることが明らかになりました。

ホースト県スぺラ地区で地震の影響を受けたコミュニティへの多目的現金支援(2022年7月~8月)

概要

ホースト県スペラ地区では、2022年6月22日に発生した地震で1,600以上の家屋が全壊、約4,000の家屋が半壊し、多くの人がテントでの生活を余儀なくされました。
食糧、生活必需品、教育、医療、住居、水衛生等、この地域に存在するさまざまな人道的ニーズの中で、一刻も早く被災者の生活を維持するために、緊急の多目的現金支援が必要でした。そのため、ホースト県スペラ地区で被災した20世帯に現金を配付しました。

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支援により改善されること

これにより、10人~15人家族の約2か月分の食料や衛生用品、越冬物資、その他生活必需品を個々の状況に合わせて購入することができます。よって、地震の影響を受けた人々の差し迫ったニーズが満たされ、彼らの生活環境が改善されました。

アフガニスタン食糧危機支援(ナンガルハル県)(2022年1月~4月)

アフガニスタンの首都カブールが、2021年8月15日にタリバンによって制圧されたことを受けて、米国はアフガニスタン中央銀行の資産を凍結しました。その結果、アフガニスタン国内では現金が不足し、元々脆弱だった経済活動が極めて難しくなってしまいました。
ジェンでは事業地であるアフガニスタン・ナンガルハル県で最も脆弱な状況に置かれた人びとに、食糧を中心とした支援を実施しました。

(1)食糧配布

最も脆弱な状況に置かれた人びとに、ニーズに合わせた以下の内容の食糧をお届けしました。1世帯の約二か月分の食糧です。

食糧・物資(1世帯の約二か月分の食糧)
小麦、食用油、米、砂糖、緑茶、豆類、塩、その他

(2)新型コロナ予防の啓発

新型コロナ感染拡大予防と衛生知識の向上のためのセッションも実施しました。セッションで学んだ予防策の一つである、石鹸を使った適切な手洗いを実践してもらうため、1世帯につき石鹸4個も一緒に配布しました。

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ナンガルハル県における国内避難民・帰還民・ホストコミュニティの水衛生環境改善を通じた新型コロナ感染症拡大低減支援事業(2021年3月~11月)

新型コロナ感染症はアフガニスタンでも85,892件の陽性者と3,356人の死亡が確認されています(2021年6月11日時点)。最近まで戦闘が続いていたナンガルハル県パチルワアガム地区には避難民や帰還民の多く集まっていますが、安全な水へのアクセスが確保されておらず、石鹸を使った手洗いはほとんど行われていません。そこで新型コロナ予防対策のための衛生教育と衛生キットを提供し、石鹸を使った手洗いや公衆衛生に配慮した取り組みの習慣化を目指しました。
加えて、井戸と給水所を設置して安全な水へのアクセスを確保するだけでなく、今まで発生していた井戸での混雑状況を緩和する事で新型コロナ感染症の感染拡大を低減します。

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JEN職員が現地の水汲みの様子を調査したときの写真

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水を汲むために列になって並ぶ人びと

(1)衛生教育の実施と衛生キットの配布

自ら新型コロナへの感染を予防出来るように、過密をさけるために少人数グループに分けて衛生教育を実施しました。公衆衛生が生活に及ぼす影響や下痢対策についても学習するため、その他の感染症の予防にもつながります。配布する衛生キットには石鹸やタオルが含まれていて、手洗いの習慣をつけて新型コロナ予防だけでなく衛生的な暮らしをすることで生活の質を向上させることを目指しました。

(2)井戸と給水所の建設

1基の深井戸と18の給水所を含めた太陽光発電式の配管システムを建設して、村の人々が安全な水へアクセスできるようにしました。従来は、近所の不衛生な小川の水が病気のもとになったり、遠い所にある井戸へ毎日何度も往復せねばなりませんでした。今後の井戸の維持や管理のために、地域の方々で井戸管理委員会を設置して、研修を行いました。

持続可能な状況をつくるために

太陽光発電による電力で水を汲み上げる、石油を使わない、環境にも優しい方法を採用したため、地球温暖化への影響を最小限に抑える事ができる井戸を作りました。
また、井戸管理委員会を地域の方の中で設立していただく事により、今後の維持管理に必要なスキルの取得だけでなく、部品購入や修理のための費用を地域の人びとから毎月少しずつ集めるようにしました。また、行政への支援要請が必要な場合に適切な窓口に相談できるよう、行政担当者との関係構築も事業の中で行いました。

アフガニスタン東部豪雨・鉄砲水災害支援(2020年10月~12月)

2020年8月26日になって降り始めた雨が、未明には鉄砲水となり、アフガニスタンの11の県で土石流の被害をもたらしました。ジェンが2002年から現在まで、帰還した難民の方々の再定住支援を続けてきたパルワン県でも大きな被害が出ました。

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被災時のパルワン県の様子

ジェンはこの事態を受け、現地でニーズ調査を行い、標高が高く、冬が厳しいこの地では、越冬支援が必須と考えてサンダリ(日本のこたつによく似ている暖房器具)と一緒にサンダリ用の炭、防水シート、大人用のズボン、子ども用のニット帽、女性用のスカーフ、ショールを最も支援が必要な世帯78世帯に12月上旬に配布いたしました。

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配布時の様子

配布の際には、サンダリの使用上の注意点と共に、新型コロナ感染予防対策(石鹸を用いた手洗いやマスク着用の重要性等)をお伝えして、物資をお渡ししました。

サンダリを受取った方のお一人は、今回の災害によって5人ものご家族を失い、忘れたくても忘れられないとても辛い経験をされたこと、それでもサンダリによって残されたご家族はこの冬を温かく過ごせそうだということをお話しくださいました。また他の方は、少しだけ安心した様子で、これで一家が厳しい冬を乗り越えることができそうであること、また冬が終わったら全壊してしまった家の再建に取り組みたいと思っていることなどを教えてくださいました。

配布後のモニタリングでは、サンダリで火傷や火事などの事故が起きないよう、実際に着火の手順を見せていただきながら確認しました。訪問した全ての世帯で、配布物資が活用され、品質にも満足されていることが確認できました。
チャリカでは、最低気温が氷点下まで下がる日々が続いています。このご支援が、家を失われた方々が厳しい冬を乗り越え、生活を再建していくための支えになることを祈っています。

命を救う (2014年5月から2015年8月)

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アフガニスタンの5歳児未満死亡率は1,000人中97人*と非常に高く世界でも下か16番目の数値です。また、1歳未満の乳幼児は1,000人中70人**であり、年々、改善しているものの、依然として高い数値です。
水衛生環境の整備の遅れに加え、産婦人科の設備の整備が追い付いていません。現地政府や病院は予算不足のために、乳幼児や妊婦の生命に関わる医療機器の整備が遅れているのです。JENは、必要な病院設備を提供し使用状況をモニタリングしていくことや、医師・助産師へ必要な研修を実施することで、新生児・乳児および妊婦を取り巻く医療環境の改善を目指しました。
JENでは、引き続き、教師やムッラーを対象に衛生教育研修を行い、彼らから学校の子どもたちやコミュニティに知識を波及させる仕組みを作っています。さらに、事業対象の学校とその周辺コミュニティに対して、衛生教育に関する映画上映を行うなど、知識の理解度を高めるための試みを行っています。

* ** 出典:UNICEF 世界の子ども白書2015、統計表 2013年時点

アフガニスタン・パキスタン地震緊急支援(2015年11月から2016年2月)

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2015年10月26日、アフガニスタン北東部及び中央部で、マグニチュード7.5の地震が発生しました。JENは2015年11月4日より震源地に近い4県にて初動調査を行い、現地政府、現地NGO、被災者への聞き取り調査を行った結果、震源地バダフシャン県で緊急支援を行うことになりました。バダフシャン県では家屋4,348棟が倒壊し、最も被害状況が尽大でした。JENが支援を行ったキシュム地区では、冬になると夜間の気温がマイナス10度まで下がることもあり、仮設テントでは越冬に十分な住環境とは言えません。更に、被災した家屋の修復には時間が必要です。全壊を免れた世帯も、寝具、衣服や調理用具などの生活必需品が被害を被りました。そこでJENは2015年12月初旬~2016年2月初旬にかけて、625世帯が住む4つの村で、越冬に必要なストーブ、薪、炭を配布しました。

大規模洪水による緊急支援

大規模な洪水と地滑り(2014年5月~10月)

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2014年5月、アフガニスタン北部の97地区が洪水と、それによる地滑りに見舞われました。JENは1回の地すべりで少なくとも503人もの人が亡くなったとみられるバダフシャン州アルゴ地区にて、5月中旬に850世帯を対象に衛生キットや粉ミルク、哺乳びん、手洗い用石鹸、ポリタンクなどを配布しました。また、6月に入っても豪雨が続き、洪水と地滑りの被害は収束するどころか拡大し、北部を中心に27県で6万5千人以上が被災しました。これを受け、JENは北部地域の中でも被災規模が最も大きかった地域の一つであるバグラーン県において、7月上旬~10月上旬にかけ、約5,700世帯を対象に洪水防壁などの基礎インフラ整備や物資配布を含む緊急支援を実施しました。

学校の水衛生・環境整備と学校施設の設置・修復

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近年、アフガニスタン政府は全国で給水・衛生施設の整備を進めていますが、治安の悪化などもあり、そのような施設が整備された学校はまだ少数です。また子どもたちの衛生知識は非常に低く、頻繁に下痢をしている状況が見られます。このような現状を踏まえ、JENは2011年からの5年間でパルワン州の全10地区の学校を対象に、学校給水・衛生施設の整備、学校での衛生教育支援、学校施設の整備を進めます。

学校修復・建設事業

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長年の戦闘によって、多くの学校は破壊され、荒廃している上、帰還による生徒数の増大で必要な学校数が絶対的に不足しており、子どもたちは壊れた校舎や木陰、テントなど屋外での授業を余儀なくされていました。
こうした教育環境を改善するため、2002年から学校修復を、2005年以降は、校舎の無い中で授業が行なわれている地域での学校建設を行いました。2003年以降の学校修復・建設事業では、現地行政、地元住民や先生で構成されるスクールマネージメント委員会を設立し、修復・建設の優先事項、作業途中で発生する問題対処、事業終了後の維持・管理方法についての話し合いを行いました。この委員会の活動を通じて、住民の学校への帰属意識を高め、教育に対する意識の向上もはかるとともに、地元住民が修復・建設作業を行うことで、収入手段の限られた帰還民が働く機会を提供しました。

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2007年7月から治安の悪化のため、国際スタッフはパキスタンへ移動し、遠隔管理体制となりました。そのような中、2007年〜2009の間にパルワン州チャリカ地区のラグマニ女子学校とトグベルディ校、郊外のハジジャタル・コブラ女子学校、バグラムのチュバシ・ラバト校、の4校の建設を行いました。

衛生環境・教育改善事業

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約30年に及ぶ戦乱が続いたため、公衆衛生インフラは機能せず、衛生環境が悪化し、多くの人びとは感染症が慢性化している劣悪な衛生環境の中での生活を強いられていました。
JENは、2008年から学校建設・修復事業と併せて、衛生教育と衛生インフラ整備の二つの面から衛生環境改善事業を実施してきました2008年にはラグマニ女子学校の建設に合わせて、井戸とトイレを学校に設置、2009年には、パルワン州チャリカ地区トグベルディ村とその周辺の村々で、教員、生徒、保護者等の地域住民に衛生教育のトレーニングを行いました。2010年は、チャリカ地区の最もニーズの高い7校を対象に給水・衛生施設の設置と衛生教育事業を実施しました。

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2011年は、パルワン県のサイードヘル地区、サラン地区にて学校衛生教育を42校において実施し、その中で他団体から支援を受けることがない14校の学校の水衛生環境整備を行いました。また、これら14校の学校のうち8校の学習環境が劣悪であったことから、学校施設の整備も同時に実施。事業実施にあたっては、自分たちの力で自立した生活を送ることを念頭に置き、地元住民やコミュニティーの参加を促しました。

飲料水供給事業 (2006年8月〜2007年6月)

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農村復興開発省のレポート(当時)によると、アフガニスタンでは農村の推定人口1,900万人のうち、1,500万人が安全な飲料水へのアクセスがない状態でした。また、5歳以下の幼児死亡率が約25%と近隣諸国の10%程度に比べ極めて高い数字を示しており、そのうち約半数が不衛生な水の摂取に起因していました。首都カブールの真北に位置するパルワン州でも、近年の人口増加に伴う水質悪化や飲料水不足により、州都チャリカを初めとする各地域で水因性疾患の慢性化が深刻な問題でした。

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こうした事態を受け、パルワン行政その他国際機関と協力しながら、日本政府の支援を受け、飲料水の供給事業を行いました。州内でも特に優先度が高い3つの地域および州都のチャリカ市で、飲料水を供給するためのパイプラインの敷設・修復、地下水路(カレーズ)の清掃・修復を行い、また衛生知識の定着のための衛生教育を実施しました。

識字教育事業 (2006年1月〜2007年1月)

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アフガニスタンの首都カブール市第3地区のCarte Sakhi(カルテ・サヒ)と呼ばれる地域は、過去内戦において、丘陵地からの銃撃戦の舞台となり、丘陵地にすむ住民の大半が避難しなければなりませんでした。そのため、住民の多くが帰還民であり、避難中に教育の機会を奪われた人が多くいました。

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JENは、2006年1月からこの地区で識字教育事業を行い、162名の生徒が、識字・基礎計算能力を学びました。またこうした能力を身に付けた生徒たちが収入向上の機会を得られるよう裁縫教室も行いました。社会的に様々な機会が制限されている女性が教育の機会を得ることで、女性の能力向上に貢献しました。

井戸掘削事業 (2005年6月〜2006年6月)

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パルワン州のチャリカの村々では、小さな泉や水路があるものの、数年来の旱魃の影響で、水量が非常に限られ、水不足が深刻な問題となっていました。また、水質も劣悪で、夏には下痢で命を落とすこともあり、住民の健康と生活に悪影響を及ぼしています。JENは、2005年より、チャリカ農村部で飲料水を確保し、より健康で住みやすい生活環境を整えるために、外務省の支援を受け、井戸の掘削を行いました。

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この事業では、JENと現地政府、地元住民を交えた井戸管理・維持委員会を設立し、井戸掘削の場所やポンプ故障時の対応方法、また、井戸掘削後の維持と管理の責任や修理代の捻出方法などについて、事業開始当初から話し合い、進めて来ました。この委員会活動を通して、事業終了後の井戸維持管理体制を確立し、地元住民のより良い生活環境への社会参加に対する意識を高めました。

住居再建事業(2002年6月〜2006月6月)

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生活基盤が破壊し尽くされた故郷で、帰還した人びとの多くが住む家がなく親類などを頼って身を寄せていました。JENは2002年から、パルワン州チャリカ地区一帯で、こうした厳しい生活環境にあり、女性や老人、障がいを持った人など自助努力では住居再建が困難な帰還民に対して住居再建支援を行いました。200世帯は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、250世帯は外務省との共同で住宅再建を行いました。

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事業参加者選定は、地域の村人で構成される委員会と地元行政と協力して行い、JENは、建材の一部提供と建設の技術指導を行いました。日干し煉瓦など自ら調達できる建材は受益者が負担し、受益者自身が建設を行うことで、彼らの自助努力を最大限に引き出すよう配慮しました。また、2002年には、現地NGOと協力して木材加工技術訓練をあわせて行い、技術者の育成と配布建材の生産も行いました。

橋・道路建設事業( 2004年4月~ 2005年5月 )

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パルワン州のアシャバで、17kmの道路と2つの橋を建設しました。建設作業はアシャバの村人たちが手作業で行い、労働の対価としてWFP(世界食糧計画)から食糧を受け取りました。支援の届きにくかった山間部の26の村落を結ぶ道路と橋が完成し、村人の移動や物資の運搬、子どもたちの通学環境が改善されました。

女性自立支援事業( 2002年8月~2004年2月)

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カブール市内の少数民族ハザラ人が多く住む地区で、帰還民、未亡人、老人、身体に障がいを持った人など社会的に弱い立場に置かれた女性を対象に、伝統工芸である絨毯織りの技術訓練と識字教室を現地NGOと協力して実施しました。また、将来的に活動を実施・継続できる女性リーダーの育成を目指し、マネージメント研修も行いました。

アフガン・キッズ教育支援プロジェクト(2002年4月〜2003年5月)

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アフガニスタンにおいて教育支援事業を行うNGO3団体が共同で日本の子どもたちにアフガニスタンの教育支援のための共同募金参加を呼びかけ、JENはこの募金により、パルワン州チャリカ市内の学校を修復しました。この修復には、学校やコミュニティーの方々が積極的に参加し、修復後の維持・管理も行いました。

ナハリン地震災害支援事業( 2002年3月~2004年 6月)

2002年3月に発生したバグラン州地震の被災者に対し、緊急支援として毛布3,000枚を配布しました。また、復興支援として、新しい土地への移住を余儀なくされた被災者が安全な水を確保できるよう、移住先の村で井戸の掘削を行いました。

生活必需品配布事業( 2002年3月~7月)

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家財道具もなく帰還してくる人びとの生活に最低限必要な物資をパッケージにし、多くの人びとが帰還してきているカブール州内で配布しました。限られた物資をより必要とする人びとに数多く届けられるよう生活必需品や台所用品からなる2種類のパッケージを用意し、女性や老人が世帯主となっている家族や大家族に配布しました。

文房具配布( 2002年1月、2005年5月など)

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2002年1月に、カブール東部の学校で、生徒2,300名(女子1,700名)に鉛筆とノートを配布し、過去5年間にわたり教育の機会を奪われていた女生徒たちの勉強への復帰をサポートしました。2005年5月には、パルワン州内の4つの幼稚園に、日本からご寄付いただいたノートや色鉛筆などの文房具を配布しました。

越冬支援物資配布事業( 2001年12月~2002年3月、2002年12月~2003年1月)

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2001年の冬には、カブール州などの避難先で厳しい冬を過ごしている避難民に対し、毛布などの越冬物資や、食器やバケツ、暖房器具などを配布しました。翌2002年の冬には、パルワン州のアシャバ地区で、ジャケット、靴下などの子ども用衣料品2,000セットと調理器具などの生活必需品を918セット配布しました。

パキスタンでのプロジェクト

2001年10月より、ペシャワールとイスラマバードに事務所を開設し、パキスタン北西辺境州にあるアフガニスタン難民キャンプで避難生活を余儀なくされている人びとのために緊急越冬支援を行いました。多くの人びとが帰還を始めたことを受け、2003年4月に緊急支援を終えて撤退しました。

毛布配布(2002年1月~2002年6月、2002年12月~2003年3月)

厳しい自然環境の中で避難生活を送っているアフガン難民に対し、「アフリカへ毛布を送る運動推進委員会(AJASA)」から提供された毛布を合計約2万枚配布しました。毛布は防寒着や敷物、荷物の運搬など様々な用途に活用され、キャンプでの生活だけでなく故郷への帰還の際にも役立てられました。

越冬支援物資配布事業(2001年12月~2002年3月)

長く厳しい冬をキャンプで迎える難民に対し、必要とされていた物資を配布しました。毛布やマット、防寒着などの越冬物資や、生活に最低限必要な食器やバケツ、暖房器具などを含むファミリーパッケージとファースト・リテイリング社から提供された 12,000着の防寒ジャケットを配布しました。