#2 対話からはじめよう。
―――その当事者の人たちは、自分とは関係ないことという風に感じていたんですか。
千田:そうですね。民族主義的な政治家が権力を握っていく中で、おそらくナショナリストとして、アクティヴに動いた人は、少数派でした。でもその少数派が唱える、民族主義とか愛国主義、「国を愛そう」、「国を守ろう」という考えは正しく聞こえる。それが「われわれは被害者」「悪いのはあいつら」と敵対心へと進んでいったのです。
木山:なるほど…。
千田:過激であればあるほど正しく聞こえて、だからこそ反論するにはものすごい手間がかかる。「裏切り者」って言われるしね。それで、「嫌なら出てけって」いう風になっていく。攻撃する側は、簡単なんですよ。それを解きほぐして、「いや、そうは言ってもそんなことやったら戦争になるよ」とか、「相手にもこういう事情がある」とか、っていうような話をするには、愛国主義や民族主義の100倍くらいエネルギーが要るんですよね。
理論的・倫理的に、「理屈の上でもそれは違うぞ」って言うのはすごく大変だし、勇気が要ります。実際にユーゴスラビアでも平和的な方向でのコメントをしたジャーナリストが暗殺されそうになったり、その独立放送局が放火されて火事になるとかっていうのが、どんどん起きてくるんですよ。
木山: 私が出会った旧ユーゴの人びとの中に、振り返ってみると戦争が始まるまでに様々な分岐点があったが、自分たちは戦争に至る道を全ての分岐点で選んでしまったのだ、と言う人がいました。日本でも、議論が尽くされないまま様々な法案が通って行く中で、自分たちが行動しないことが、戦争に向かわせているのでは、と危機感を持っています。
千田:確かに、2014年位から、秘密保護法、集団的安保、武器禁輸解除など、鍵になる大きな法律が制定されて、もうやろうと思えば戦争が始められるし、反対する人は逮捕できるし、というような法制度が完備された状態になっています。あの時自分は何をしただろうかというような、忸怩たる思いは、もう沢山の人が持っているでしょうね。まだ諦めちゃいけないとは思うけど、ユーゴスラビアのときに戦争に向けて準備に2-3年が必要だった。そして、日本でも、もうその期間が経っちゃてるんですよね。
木山:「あんなにデモしたけど法案が通ってしまった」の様に、無力感を感じている人も結構いるのかな、と思うんですよね。戦争突入前のサラエボでも、人口50万人なのに30万人のデモをやったと聞いたことがあります。
千田:日本でも、デモが例えば60万人を超えたら、安倍内閣が法律を取り下げたかっていうとそんなことは無いわけですよね。「次の選挙で負けるぞ」って思ったらやめるかもしれない、ということですよね。でも、失望する必要はなくて。あれだけ集まったのはすごいことですから。今度は、そこから対話をしてくのが大切なんですよ。
(敬称略)
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千田善|ちだ ぜん
1958年、岩手県生まれ。国際ジャーナリスト、通訳・翻訳者。立教大学講師。旧ユーゴスラビア・ベオグラード大学政治学部大学院中退。専門は国際政治、民族紛争、異文化コミュニケーションなど。紛争取材など、のべ10年近い旧ユーゴスラビア生活を経て帰国。外務省研修所、一橋大学、中央大学、放送大学などの講師を歴任。2006年からイビツァ・オシム元サッカー日本代表監督の専属通訳に。みずからもボールを蹴るサッカー歴40年、現在もシニアリーグの現役プレーヤー。『ワールドカップの世界史』(みすず書房)、『なぜ戦争は終わらないか』(同)、『ユーゴ紛争』(講談社現代新書)ほかの著作、翻訳がある。