「読売国際協力賞」受賞によせて
理事・事務局長 木山啓子
(2015年11月13日、「第22回読売国際協力賞」受賞式スピーチ全文)
会場にお越しの皆さま、選考委員の皆さま、読売新聞グループ本社の皆さま、この度は栄えある賞を授けて頂き、本当にありがとうございます。第一回の緒方さんをはじめとする錚々たる皆さまや団体が受賞されているこの素晴らしい賞を私たちも受賞できるとのことで、この上ない名誉だと感じています。これまでの支援活動が評価されてのことと、職員一同、嬉しく喜び合っております。
JENは、22年前には、影も形もありませんでした。JENを産んで育てて支えて下さった方々、つまりJENの父となり母となり、姉妹兄弟となり、師となり朋となって、導いてくださった多くの方々がいらしたからこそ、今日まで続けてくることができました。このような栄えある賞を頂けるのは、支え続けて下さった皆さまのお陰です。そして、少し手前味噌ですが、歴代のJENのスタッフを心から誇りに思います。同時に、この素晴らしい会場で、きらめく照明の下で、笑顔で語り合う、そういう場所にいると、いつも浮かんでくるのは、厳しい状況にある難民や被災者の方々の、酷寒の中、酷暑の中を耐えているお姿です。
2005年のカシミール地震の時には、ダウンを着ていても寒い山の中で支援をさせて頂きました。その時は、家がぺしゃんとつぶれてしまった家族が大勢ありました。テントを配布すると伝えると、登りは3時間、下りに2時間もかけて、歩いて取りに来てくれる方がたくさんおいででした。もっと近いところで配ってあげればいいじゃないかと思われるかもしれませんが、道路がなく、近くまで運ぶことはできないということがありました。
愛する家族や全財産を失うような過酷な現実に直面しているからといって、難民や被災者の皆さんは、その能力や人格までも失った訳ではありません。元々は、ここにいらっしゃる皆さんと同じ、尊厳をもって普通の暮らしをしていた人々です。だから、与えるばかりの緊急支援では尊厳を取り戻すことは難しいと考えています。ですから、JENの支援は、緊急事態から自立を支えることを旨としてきました。
世界各地の紛争は益々複雑化し、気候変動の影響からか、自然災害も巨大化して頻度も増しています。その結果、残念ながら、支援を必要としている人の数は劇的に増え、支援の期間も長期化してきました。出口の見えない紛争から逃げ惑う数百万、数千万人の難民の方々を前にすると、正直、途方に暮れそうになることもあります。ですが、つらいのは私たちではなく、難民の方々です。彼らの苦しみを知りながら支援をしないでいるということができるでしょうか。そして、どれ程大きな問題でも、目の前にいる難民や被災者の一人ひとりの支援を地道に続ければ、物事が動いていきます。
今回の受賞を機に、JENの22年間を振り返って気づいたことがあります。それは、やればできる、ということです。不可能に思えることでも、具体的に動けば可能になる、ということです。
実際、顔見知り同士が銃を取って殺し合いをしたボスニアで、平和構築のプロジェクトを始めようとした時、もう一度仲良くなるなんて無理だ、と言われました。ハイチで大震災の後、無償ボランティアを募ろうとしたら、ハイチではお金を出さずに人は動かないよ、と言われました。ヨルダンの難民キャンプで水衛生委員会を作ると言った時、協力してくれないと思う、と言われました。それでも、工夫を凝らして具体的に動くことで少しずつ状況が変わってきました。
ボスニアでは、一緒にコーヒーを飲める日が来るなんて思わなかったと言って頂きました。ハイチで無償ボランティアをやってくれた方は、なんとその仕事に誇りが芽生え、JENの支援が終わった後にも、一人で無償ボランティアを続けてくれました。ヨルダンの難民キャンプでも、水衛生委員会が200近くできて、水を原因とする病気が激減したと聞いています。戦争のない世界をつくるなんて無理、とおっしゃる方も多いかもしれません。でも、これもきっと、やればできる、と思っています。
それは、ひとつひとつの地道な支援を続けることでできると思っていますが、確かにお金がなければ支援はできません。でも、そのお金をきちんと活かす人が現場にいなければ何一つ実現されません。私たちの活動は小さなものではあるかもしれませんが、今この瞬間にも、世界中でJENの様な小さなNGOが、生活を立て直そうとする人の努力を支えています。そして、それを必要としている人たちがいます。私たちが努力を続けられる様、支えて下さってきた皆さんに、地道な努力に光を当てて下さった今回の受賞に、もう一度心から感謝を申し上げて、受賞の言葉に代えさせて頂きます。
どうもありがとうございました。