現在、石巻市追波川仮設住宅に夫と二人で暮らす三條キエコさんは、震災前、石巻市長面地区で暮らしていました。夫は30年以上務めた合板会社を数年前に定年退職し、時折手伝いに行っては収入を得ていました。三條さんには子どもが2人いて、2人とも家庭を築き、孫も3人いました。
震災時、三條さんは自宅で待機していたため、自宅で津波に呑みこまれ天井にわずかに残った隙間から顔を出し、何とか息を繋ぎました。必死の思いで二階に這い上がり、ヘドロ混じりの海水で濡れてしまった体をカーテンや毛布を体に巻きつけ、寒さをしのぎました。自宅は全壊してしまいました。
義理の娘(長男の妻)、高校1年生の孫、小学3年生の孫が津波にのまれて亡くなりました。亡くなってしまった娘は、発災時に石巻市役所にいました。そこから高校に通う長男を車で迎えに行き、その後に小学校に通う小3の二男を迎えに行きました。15時頃、夫宛てに「今、長男を車に乗せて小学校に二男を迎えに来て待っている所です。」とメールが届きました。その直後、小学校ごと津波にのまれてしまったのです。
【2011年12月に撮影した長面地区、まだ水没したまま】
「私は自分を恨み続けました。何で私たちみたいな老人が生き残って、これからの未来を切り開いていく若い世代の娘や孫たちが死んでしまったのだろうと。悔やんでも、悔やみきれない気持ちでいっぱいでした。」
「ただ何もせず家に居ると震災当時のこと、孫達のことを思い出すしかできなくて、とても辛かった。亡くなってしまった孫たちと同年代の子どもを見るだけで涙がこみ上げてきたくらいです。今でもあの子たちのことを思い出すと涙が滲んできます。だから、昨年末くらいからは、集会所で何か催しがあれば、気を紛らわすためにも必ず行くようにしていました。」
【2011年秋にプランターとチューリップの植栽の様子をみている三條さん:右端】
「集会所で何かある毎に来る人が違うけど、中には毎回同じ人が来てくれることもあり、その人達と会う度に仲良くなっていきました。今ではその人たちと会うこと、その人たちの元気な笑顔を見ることが私の元気の源になり、心の支えになっています。
どれだけ心が癒されたか。ありがとうの言葉だけでは感謝の気持ちを伝えきれない。そういった方々の支援のおかげで気持ちが落ち着き、去年よりもずっと前向きにもなれたと思います。」
「今年の春頃より、物資も気持ちももらってばかりではいけないと思い、他の誰かの為に何か出来ることはないかと考えるようになりました。そこで、自分の長年趣味として続けていた手芸を通して“私はこんなに元気になりました。支援して頂いた皆さんありがとう”」と伝えることにしました。今では自分の住んでいる仮設住宅と、別の2か所の計3か所で手芸のボランティア講師として活動しています。
「別の仮設住宅で暮らす長男が内陸部に土地を購入しました。新居が完成したらそこで手芸教室を開こうと考えております。その時はボランティアとしてじゃなくプロの先生としてね。今までお世話になったボランティアさんたちを呼んでお茶会なんかもする予定だし、早く新居が出来ないかと心待ちにしています。」
【すっかり明るくなった三條さん、ジェンのスタッフと談笑】 被災地では、さまざまな被災を経験し、心に深い傷を抱えたまま生活を送られている方がたくさんいらっしゃいます。
ジェンはこれからも、一人一人に寄り添った活動を行ってまいります。
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