石巻地方最大のイベント「石巻川開き祭り」が7月31日と8月1日の2日間、石巻市の中心市街地をメーン会場に行われました。震災の影響からイベント日程、内容ともに規模を縮小しての開催でしたが、多くの市民や観光客、ボランティアで街は活気に満ちました。
石巻川開き祭りは、各地区で行われていた水難者を慰霊する川・海施餓鬼供養祭が始まりとされ、大正5年から観光客誘致を目的に花火大会と一緒に開催するようになりました。その後、石巻繁栄の礎を築いた「川村孫兵衛翁」の報恩祭も兼ね、今年第89回目を迎えた伝統的な祭りです。
【北上川に浮かぶ15000個の流燈】
【日和山公園内の川村孫兵衛翁像】
【花火が打ち上げられる中瀬公園】
小学生の鼓笛隊パレードが2年ぶりに復活し、陸上行事で華やかな音色を響かせました。正午から始まったパレードは、中学校の吹奏楽部3校が先頭で行進し、この後、門脇小を先頭に旧市内17校の子どもたちが元気に隊列を組んでパレードしました。
先頭の門脇小の校舎は、津波直後に火災に巻き込まれて全焼し、門脇中校舎を間借りして授業を行っており、ジェンを初め多くの支援者から楽器などの支援を受けて、今回震災を乗り越えて元気な姿を披露しました。
炎天下、鼓笛隊パレードを成し遂げた子どもたちは、きっと大きな成長を遂げることでしょう。
【湊第二小鼓笛隊】
夜には、旧北上川で、鎮魂と復興を願う花火が打ち上げられ、フィナーレを飾りました。
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JENでは、7月18日、19日、28日、29日に、北上町十三浜地区の白浜海岸の清掃ボランティアを行いました。
震災前、宮城県内には28か所の海水浴場がありましたが、現在、営業再開している海水浴場は、気仙沼市大島、小田の浜海水浴場1か所のみです。大島では、行政と地元住民、ボランティアの尽力により7月21日に開業にこぎつけたそうです。
(参考:河北新報 2012-0722)
【現在は、遊泳禁止】
この白浜海水浴場については、大きながれきは回収されましたが、依然として細かいゴミが散乱している状態でした。このことは、漁業支援でつながりのあった地元の漁師さんが教えてくれました。
全国から、各日20人ほどのボランティアが集まり、参加しました。
【回収しやすいようにトンパックに入れ、まとめます。】
清掃活動は行政と連絡を取りながら行っています。市役所北上町総合支所に、回収を行っていただいています。
白浜地区には、かつて40世帯ほどが住んでいましたが、津波により、すべての家が流されてしまいました。
計画では、平成25年1月頃から高さ8.4mの防潮堤の工事を行い、いずれはまた海水浴場として再開することも視野に入れているとのことです。
浜にまたにぎわいが戻る日を来ることを願い、今後は地域の子どもたちなどにも手伝ってもらいながら、清掃活動を続けていきたいと考えています。
【かつての白浜海岸。年間1万人以上が来場していた時もあったそうです。】
写真:石巻市ホームページより
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石巻市北上町の相川小学校は、校舎が被災したため、同地区の橋浦小学校に同じく被災した吉浜小学校とともに教室を間借りしています。昨年12月に一般社団法人mudef(ミューデフ)が進める「HOPE FOR JAPAN」の活動に賛同するロックバンドのGLAY(グレイ)さんからのご支援で、相川小学校を含む石巻市内の小学校、中学校、高校合わせて16校それぞれの要望に応じ、86種類の楽器、合計289点が贈呈されました。
そんな相川小学校で、全校児童59人で構成する鼓笛隊の演奏会が7月18日、北上地区内8か所で行われました。
【写真①:十三浜小室地区での演奏】
6月から全員で練習してきた太鼓やハーモニカ、トランペット、アコーディオンなどからなる鼓笛隊は、6年生の指揮で息の合った演奏を披露し、集まった人々から温かい拍手が送られていました。
演奏会は、にっこりサンパーク内の仮設住宅を皮切りに、小室、大室など学区内7か所で行われました。
【写真:地区内を行進する鼓笛隊】
相川小学校は、来春閉校が決まっており、相川小学校としての演奏会は今回が最後となります。
演奏を聴いていた地区の方々は、「これが最後の演奏かと思うと感慨深い」と話していました。
子どもたちも、今日の演奏のことは一生忘れないことでしょう。
【演奏を聴く十三浜の人々】
北上地区では、今も仮設住宅等で厳しい生活を余儀なくされている方が多いのですが、子どもたちの元気いっぱいの鼓笛隊パレードの演奏を聴いて、大きなパワーをもらったようです。
これからもJENは、子どもたちを見守ってまいります。引き続き温かいご支援をお願いいたします。
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7月7日、渡波地区にある自治会館「黄金浜会館」を主会場に、お祭りが行われました。
「黄金浜会館」は、渡波地区西部にある地域会館ですが、津波により天井まで浸水し、壁が抜けるなど、大きく破損しました。しかし多くのボランティアの手によって泥出し、応急修理が施され、さまざまな用途に利用されてきました。
JENでは、2011年6月から、会館を中心とした地域コミュニティへの支援を継続して行っています。
天井まで浸水し、壁が抜けてしまうほどの威力でした。
応急修理後は、さまざまな支援団体の支援活動の拠点として、周辺在宅被災者のための物資配給、炊き出し、心のケアなどが行われてきました。
JENでは、黄金浜会館管理運営委員会からの要請を受け、昨年秋から本格的なリフォームに着手しました。
【リフォームの準備】
【リフォーム後】
下の写真は、お祭りの会場準備をしている様子です。
当日はあいにく雨天でしたが、100人を超える人びとが集まりました。
【会館前の広場には、夜店。】
中央の青年は、会館の修繕工事を請け負っていただいた、地元黄金浜の大工、今野さん。
市民ボランティアとしてがれき撤去活動なども率先して行うナイスガイです。
【夕方からは、カラオケ大会!】
【ゴスペルライブ!】
ほかにも、フラダンス、弦楽奏など、さまざまな催しが行われました。
お祭り会場には、地域の皆さんの笑顔があふれていました。
建物をきれいに修繕することはもちろん大切です。しかし、その建物を使う“人”への支援はもっと大切です。かつて会館の運営委員であった方々のなかには、震災によって亡くなってしまった方、依然避難生活を続けている方も少なくありません。そのため、地域会館を運営する主体、会館の自治機能は失われたままでした。
そこでJENでは、運営委員会の再組織のため、周辺住民の方どうしの話し合いやワークショップの場を設定するなど、コミュニティによる円滑な運営ができるよう、サポートを行っています。
次回以降は、会館運営のサポート、コミュニティ支援の様子についてお伝えしていきます。
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JENでは昨年10月から、浜の人たちに漁網材料を配布し漁網を編んでいただく、そして完成した漁網を津波により漁具が流出した漁師さんに使っていただく、という収入創出事業を、4つの地区(表浜地区、東浜地区、裏浜地区、石巻地区)で始めました。
6月29日、表浜地区での漁網支援をご支援いただいている雑誌「STORY」「美ST」の皆様とともに、視察に行ってきました。
今回お伺いした表浜地区給分浜(キュウブンハマ)の高橋さんは、自分のことを“小漁師” と呼びます。“小漁師”とは、季節ごとの魚や磯もの(貝、海藻など)をさまざまな仕掛けや素潜りで採り、生計を立てる漁師さんです。
シャコエビ漁は、網の巻き上げ機 のついた小舟で行います。
港から10分ほど船を走らせると、旗が立っています。この旗が仕掛けの目印です。
【巻き上げながら、かかった獲物を外していきます】
【船上で作業をする高橋さん】
【網から外されたシャコ】
高橋さんは、奥さんと息子さんの3人で漁を行っています。奥さんの照代さんは言います。
「震災後は私も、とりあえずラーメン屋さんでアルバイトをしていたんだけど、漁網づくりをきっかけに、こうやって海の仕事に戻るようになったの。そうするとやっぱり楽しいし、やりがいがあるの。もちろん大変なこともたくさんあるけど、ね。」
【高橋さんご夫婦のお話に耳を傾ける「STORY」「美ST」の皆さまとJENスタッフ】
「これからは家族も一緒にやるし、養殖にも挑戦してみようか、とも考えてるんだ。」
当初、震災でなにもかも失ったことから、“漁師をやめてもいいんだよ”と息子さんに伝えたそうです。しかし息子さんは、“俺は漁師しかできないから。漁師で仕事をすることを覚えてしまったから。漁師をやるよ”と、漁師を続ける道を選ん だのだそうです。
漁港のかさ上げと整備、流出した船や漁具の調達、仮設住宅から高台への移転…、未解決の課題はまだまだ山積していますが、できるところから取り組む浜の人びとの力強さを感じました。
JENはこれからも、復興に向かって進んでいく人びととともに、歩み続けます。
引き続きJENの活動への支援をお願いいたします。