5現在75歳のウム・モンゼル。50歳で読み書きを覚え、70歳を過ぎてPCの使い方をマスターしたCOURTESY OF THE ROAD THE ROAD
難民という境遇や年齢にも怯むことなく自分の夢を追求し続ける75歳の女性の物語をお届けする。動画はいつもの「逆」で、取材する側の「ザ・ロード」の記者たちにフォーカス。ジャーナリストという新たな希望を見つけた彼らの姿は、見る者にも勇気を与える。
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「あきらめなければ、どんな難しいことだってできる。でも、あきらめたら、どんな簡単なことだってできやしない」
シリア南部ブスラ・ハリール村出身のウム・モンゼルはこう語る。現在75歳の彼女は、ザータリ難民キャンプの第9地区で暮らしている。若い頃から旺盛だった彼女の知識欲は、避難生活でも衰えることはない。「ザ・ロード」の記者が、「学ぶ」ための努力を重ねてきた彼女に取材した。
「子供の頃、両親に反対されて学校に行けなかった。教育は必要ない、どうせお嫁に行くんだからと言われてね。
20歳になって『識字教室』の存在を知り、どこかでやっていないものかと1年間、探し回った。21歳のときにようやく見つけたのだけれど、通いはじめて20日もたたないうちにその教室は終わってしまった。その後も別の教室を探し続けたけど、残念ながら見つからなかった。
結婚して子供ができてからは、テレビでよく一緒にコーランの朗読を聞いた。
コーランを読めないのが悔しくて、涙が出た。
先生方に、子供たちと共に授業に出席したいと頼んだけれど、断られてしまってね。
50歳になって、また識字教室を見つけることができて、通いはじめた。他にもたくさん私のような年配の人たちがいた。3ヵ月通って、証書をもらえたけれど、家の仕事のためにやめざるをえなかった。
子育て、畑の水やり、家畜の世話……主婦は忙しいからね。
そうこうしているうちに、シリアで内戦が起きてしまった。73歳のとき、私は1人でここザータリ難民キャンプに避難した。
あるNGOが運営する図書館に本を借りに行ったら、子供達が図書館のパソコンで遊んでいるのを見てね。事務所に行って、パソコン教室を始めてほしいと頼んだんだよ。
数ヵ月後に再びそのNGOを訪ねたら驚いたわ。パソコン教室が始まっていてね。
私も学びたいとお願いしたら、年齢のせいで一度は断られた。でも、『パソコン教室は私のアイディアだから、私にも学ぶ権利がある』と交渉したら、嬉しいことにOKしてくれた。
パソコンのOSは英語版だったから、使い方を覚えるまでは本当に大変だった。でも、いままで数えきれないほど苦労してきたからね。あきらめずに1ヵ月半の間、週2回パソコンの使い方を勉強したんだ。
もしお金があれば、復習のためにパソコンを買いたいんだけどね。
いまの夢は世界中の言葉を習うこと。大学にもぜひ行きたい。もし歩いて通わなければいけないとしても、自分の足で歩いていくよ。
知識は光、無知は闇だ。いつかシリアに帰ることができたら、光のなかで残りの人生を送りたい。それが私の夢」
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00:42-00:52 毎月、月刊誌「ザ・ロード」を配ります。大雨の日も風の強い日も。僕たちは、いつでも読者と一緒です。
00:58-01:00 僕はアフマド・アル・ナトゥール、21歳です。
01:01-01:11 月刊誌「ザ・ロード」でボランティアをしています。「ザ・ロード」は難民の生の声や困難な状況を伝えるための月刊誌です。
01:18-01:22 「ザ・ロード」がおこなうジャーナリズムのトレーニングと実習で、レポートや記事の執筆、写真の撮り方を覚えました。
01:23-01:28 難民の声を世界に届けるために。
01:31-01:34 「ザ・ロード」が希望をくれました。
01:35-01:39 将来シリアに戻ったとき、自分の家族や国を変えていくことができると。
01:44-01:47 私はランド・アルハリーリ、15歳です。
01:48-02:01 (「ザ・ロード」で働くことで)写真撮影、取材、詩や記事、レポートの書き方を習いました。
02:18-02:26 この雑誌のおかげで、いつかシリアに戻ってから祖国を再建するという希望が生まれました。
02:32-02:34 私は「ザ・ロード」が大好きです。
The Road ×クーリエ・ジャポンの記事はこちらからもご覧いただけます。
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