シリア難民(トルコ)支援速報

【トルコ・シリア地震】 炊出しが照らす希望への道

2025.03.06

JENがトルコ事業でパートナー提携を結んでいるSAHAが作った動画です。ぜひご覧ください。

2:11 私の名前はネジャーティ・オグラルです。2月6日、私たちは災害が発生したのと同時に目を覚まし、すぐに地域組織で積極的な役割を担いました。私たちはすぐに50の地域でボランティアチームを結成しました。それぞれの地域で目標を設定し、最も弱い立場にあるグループを優先して、まずお年寄り、女性、子どもたちに手を差し伸べることに集中しました。

2:57 私の名前はセイラン・オグラルです。夫のネジャーティと私はその朝、急いで村に戻りました。夫は現場で働き、私は子どもたちやお年寄りのそばに残り、近所の女性たちと力を合わせ、一致団結して働きました。本当にひどい災害でした。こんな経験をするとは想像もしていなかったです。結婚して15年、18年も経つのに、子どもたちと離れ離れになってしまいました。

3:51 だから、できるだけ早く、とても専門的とは言えないけれど、ボランティアと一緒に技術的な準備をできるだけ早く整えようとしました。私たちは、鍋はここから、お玉はそこからと集め、他の地域から人が移り住むようになったKoyunoglu, Kusalani, Yesilkoyの近隣を、私たちの炊出しの場所として定めました。この地域で相次いだテント火災は今も続いており、これらの火災で幼い子供たちが命を落としたという事実から、私たちはこの炊出し活動を継続することの重要性を認識しました。私たちは、このサービスを守り、継続させるための強い責任を感じ、ボランティア全員がそのことに同意しました。私たちは、このボランティア活動を可能な限り長く続けていくつもりです。

5:31 人々の心や生活に触れ、変化をもたらすことができたことを私はとても嬉しく思っています。例えば、最初の場所の常連だった年配の女性がいます。彼女はよく早く来て、私たちが料理を作っている間におしゃべりをしに来ると、幸せな気分になり、ストレスが軽減されると言っていました。彼女は、私たちが経験してきたことを忘れさせてくれたと言っていました。私たちは、人々の人生に心理的な意味で触れることができたと感じています。

6:02 このボランティア活動を支えてくれた団体、生命線となってくれた団体、この活動に命を吹き込んでくれた団体に心から感謝しています。特にSAHAチームとそのパートナーたちは、私たちを決して放っておきませんでした。ここ最近、SAHAの多大な連帯努力は、私たちの炊出し事業の持続可能性を確保する上で極めて重要でした。困っている人たちに手を差し伸べようとする一方で、物資の面では依然として深刻な問題に直面しています。しかし、SAHAチームは24時間365日、私たちと共にいてくれています。

8:10 私はイブラヒム・グーラーです。現在、Yakto Hayat Aseviの運営責任者です。2月6日の地震の初日から、現地でボランティアをしています。

8:22 私の名前はネスリハン・アスカルです。友人のセルダとイブラヒムとともに、地震発生以来、炊出しボランティアとして働いています。

8:32 私はセルダ・アルダックです。2023年3月からYakto Hayat Soup Kitchenでボランティアとして働いています。炊出しの仕事ができて本当にうれしいです。これをやっていて本当によかったと思います。また、この仕事をすることの幸せ、喜びは私にとって格別であります。

8:45 なぜ炊出しを行っているのか、なぜまだ人々のために料理を作っているのかと聞かれることがあります。私たちがそうする理由は、人々がまだそれを必要としているからです。

8:57 以前は出会うことのなかった人たちが、今ではここに集まってきています。彼らは互いに歩み寄り、悩みを分かち合います。私たちは、炊出しが単なる食事の場ではなく、人々が士気を取り戻し、交流する場になっていることに居合わせてきました。私たちがここにいることで、人々は力づけられ、自分はひとりではない、自分はまだ支えられている、自分は忘れられていない、と感じるようになることができます。それが彼らに自信を与えます。食料を配るとき、私たちは彼らと話をし、世帯に何人いるのか尋ねます。中には高齢の家族がいると言う人もいます。そのような状況を知り、パンを1つ余分に渡したり、食料を少し多めに渡したりします。

9:47 たとえば、次の通りには、高齢の障害者の女性が住んでいます。彼女は聴覚に障害があり、ご主人は寝たきりです。私たちが彼女を訪ねると、彼女は外で皿洗いをしていました。とても胸が痛みました。私も過去に雨の中、寒い外で皿洗いをし、ひどいリウマチになるという同じような経験をしたことがあるからです。だから私は彼女を訪ねました。彼女は毎日料理をしてほしいと言いました。だから、「心配しないで、毎日食べ物を持っていくから 」と彼女に言いました。私たちはできる限りのことをします。時には忙しすぎて、すっかり疲れ果てて家に帰ることもあります。

10:22 でも、私は人々を助けることが大好きです。パンを渡したときの笑顔を見るのが好きなのです。私たちは毎週金曜日を 「パンの日」としています。SAHAチームのサポートのおかげで、パン以外にもロクマ(トルコの伝統菓子)やリンゴなどのお菓子も配ることができています。SAHAのチームが私たちをサポートしてくれるようになってから、私たちは大きな安心感を感じることができています。彼らの存在は大きな違いを生んでいます。この震災後の炊出しの役割は非常に重要です。このプロセスは疲れますが、やりがいもありました。

11:00 このプロセスの中で最も楽しいのは、人々の生活に触れ、連帯の素晴らしさを体験することです。この間、私たちを支えてくださった皆さんに特に感謝しています。皆さまからのお力添えのおかげで、私たちはこの事態を乗り切ることができました。ボランティアからの支援は、私たちの傷を癒すのに不可欠でした。私たちは、疲れながらも、苦労しながらも、喜びをもって食事を作っています。でも、炊出しの需要はまったく減っていません。

11:47 まだまだ支援を必要としている人がいるのだから、この流れが続くことを私たちは願っています。アンタキヤや私たちの近所を見れば、人々がまだ食事を必要としていることがわかります。例えば今日、SAHAチームが送ってくれた小麦粉や油などの物資のおかげで、少なくとも500~600人にパンとロクマ(トルコの伝統菓子)を提供することができました。そのおかげで人々はとても喜んでくれました。ありがとうございます。

12:22 炊出しはまだ必要なのかと聞かれることがあります。私は以前よりも炊出しはニーズがあると信じています。何が元に戻ったというのでしょうか?人々はまだ家を持っていません。私もテントで暮らしています。人々が家を持ち、仕事を持ち、教育を受けられるようになるまでは、何も正常化しません。そうなれば、炊出しの閉鎖も考えることもできるでしょう。しかし、今のところ、炊出しのニーズはまだ大きく、正常な状況とはまだほど遠いです。

13:08 私たちは、自分たちで食料を生産し、ここで調理し、人々に配給できるスペースがぜひとも欲しいです。それは素晴らしいことす。しかし残念ながら、こんなことを言うと批判されるかもしれませんが、現状はそうではありません。人々は平常には戻っていないのです。地震が発生してから2年近く経ちますが、いまだにテントやコンテナで暮らす人々がいます。そのことについてご自分の目で確かめていただきたいです。まだテントで暮らしている人もいれば、コンテナで暮らしている人もいます。正直なところ、私もコンテナに住んでいますが、その中での生活環境は厳しいものです。床は割れているし、基礎も割れているし、アリや虫がそこからコンテナの中へ入ってきます。だからこそ、皆さんの支援やボランティアの方々のサポートは、私たちにとってとても貴重で重要なのです。ここにいてくれてありがとう。

14:01 SAHAチームの皆さんには、最も困難な時期に私たちを支えてくれたことに、改めて感謝したいと思います。また、JENにも感謝したいです。彼らは、私たちが必要としているときに、まるで神様のように現れてくれました。

14:29 私の名前はネスリハン・アスカル。私はセルダ・アルディック。そしてイブラヒム・グーラーです。本当にありがとう。あなたがここにいてくれてうれしいです。このプロセスの間、あなた方は私たちの大きな支えでした。本当にありがとう。私たちは、あなたがここにいてくれて、私たちの親愛なる友人であるあなたと知り合えたことをとてもうれしく思います。SAHAのチーム、そして最も困難な時期に私たちのそばにいてくれたJENに、改めてありがとうと言いたいです。私たちから多くの敬意をあなたたちに表します。本当にありがとう。あなたたちのおかげで、人々は違うものを食べることができます。本当にありがとう。ありがとう。

※本翻訳は、可能な限り正確に日本語へ翻訳するよう努めておりますが、必ずしも完全な正確性を保証するものではありません。内容の正確性については、動画の字幕と併せてご確認くださいますようお願いいたします。


出張先での密かなたのしみ

2024.11.28

トルコは動物を大事にする国としても有名です。
今回の出張で訪れた場所では、街の色々なところで猫の姿を見ることができ、街の人びとに温かく見守られている様子が確認できました。

出張中は、現地にいられる時間を最大限に活用しようと、朝から晩まで視察や打ち合わせを詰め込みがち・・・息つく暇もないような、過密なスケジュールになってしまうことがあります。ただ、忙しすぎて頭がいっぱいになりすぎても、いい仕事ができないのもまた事実。
少し頭を緩めてリラックスする時間も必要・・・と思っていた時に、最高の癒しを与えてもらえる場所を、宿泊施設の一角で見つけました。

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朝食会場の横にあるキッチンガーデンに、猫の家族が暮らしていたのです。
こちらに滞在していた期間は毎朝、窓際の席に陣取り、子猫たちがぴょこぴょこと飛び回る様子を見ながら朝食をいただいていました。
あまりゆっくりもしていられないので、後ろ髪を引かれる思いで席を立つのですが、毎朝の癒しのひとときに助けられ、無事に帰国することができました。

みなさんの癒しはなんですか・・・?


ある日の炊出し施設での風景

2024.11.05

今回は、スタッフが炊出しのお手伝いをさせていただいた時の様子をお届けします。

前回お伝えしたように、街中には崩れてしまって人気のない建物がたくさんありました。そのような状況でも、人びとの生活は続いていきます。子どもたちのいる家庭にとって、学校生活もその大事な要素の一つ。
ジェンが支援している炊き出し施設の一つは、小学校のすぐ前の敷地で運営されています。この学校に通う子どもたちの多くもまた、テントやコンテナ住宅から通学しており、かつ経済的に困窮している家庭が多いことも相まって、温かい食事をとれていないことも多いことがわかりました。

そのような子どもたちが、お昼休みに炊き出し施設へ昼食をとりにきます。先生たちに引率されて食事の列に並ぶ子どもたちは、その日はジェンの日本人スタッフがいることに気づいたようです。スタッフから食事を受取る際に、先生から教えてもらったのか、日本語で「アリガト」とはにかみながら言ってくれました。

ジェンのスタッフも炊出しのお手伝いをさせていただきました

この日のメニューは鶏肉と野菜の炒め煮、ピラフ、そしてリンゴでした。ジェンが支援を始める前は、お肉がメニューに加わることはほとんどなく、豆類が中心だったといいます。育ち盛りの子どもたちに、バランスを考えたメニューを提供できるようになって、本当にうれしいと、施設のスタッフが話してくれました。

施設のスタッフは、子どもたちのお昼休みの間に食事を提供できるよう、大忙しです

食事が終わると、何人かの子どもたちが敷地内で遊び始めました。ここはかつて幼稚園があった場所ということもあり、今も遊具が残されているのです。深刻な被害を受けた街で生きている子どもたちにも、子どもらしく笑って遊べる時間があることがわかり、見ているこちらも少しだけほっとした気持ちになりました。それと同時に、自らも被災者でありながら、子どもたちや地域の人びとの生活を支えている、炊き出し施設のスタッフの前向きな姿勢と力強さに、尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。

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復興への長い道のり

2024.09.11

ジェンは、「地震発生から1年。ハタイ県で支援プログラムを開始しています。」でご紹介した通り、2023年2月に大震災に見舞われた、トルコのハタイ県で支援活動をしています。今回から数回にわたり、本部スタッフが現地視察に行った際の様子をお届けいたします。

ハタイに入り、間もなく目に飛び込んできたのは、生々しい震災の爪痕。崩壊してしまった住居と思しき建物、窓が破れて人の気配を感じさせない建物、クレーン車での取り壊し作業も所々で目にしました。

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そして次に気づいたのは、コンテナ住宅の多さです。「コンテナシティ」と呼ばれる大規模なものから、数十のコンテナが設置されている比較的小規模なものまで、街のいたるところにコンテナ住宅がありました。エアコンの室外機が設置されているのが外から確認できたものもありましたが、全てのコンテナに標準で装備されているわけではないそうです。私たちが訪れた時は、まだ5月だというのに、直射日光の下では45℃にもなっていました。エアコンがないコンテナの中で過ごすのは耐え難いことが、容易に想像されます。コンテナは暑すぎるからと、未だにテントで暮らす人びともいます。

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コンテナ住宅にはきちんとした台所がなく、自分で食事を準備したくても、調理は困難です。そうなると、缶詰などの保存食のようなものに偏ってしまい、長引く避難生活で心身ともに負担が大きくなります。そのため、今でも炊出しの需要が高く、今も多くの人が集まります。

次回は、被災した人びとを支える、炊出し施設の様子をお伝えします。


地震発生から1年。ハタイ県で支援プログラムを開始しています。

2024.03.21

2023年2月に発生した地震によって、トルコ南東部では大きな被害を受けました。犠牲者は5万人以上にのぼります。

多くの建物が地震により倒壊し、被災地では震災発生から1年以上が経過した今でも、がれきの撤去作業が行われているところもあります。さらに、その影響で多くの人びとが、密集したテントやコンテナでの生活を余儀なくされているため、調理する場所がほとんどありません。そのため、清潔な水と温かい食事を取ることのできる炊き出し施設は、現在も被災者にとって重要なライフラインとなっています。

被災した地域の中でも、ハタイ県の被害は最も大きく、5,700ほどの建物が倒壊しました。ハタイ県では現在、11か所の炊き出し施設が被災者の支援を行っています。

しかし、これらの施設は運営費用を寄付で賄っており、運営が不安定な状況です。施設スタッフもまた、震災のトラウマを抱えた被災者が担っています。

JENはトルコ・ハタイ県で、現地のNGO団体(SAHA)と協力して、炊き出し施設の支援を開始しています。具体的には、食材や消耗品等を提供することで、その運営を支援します。さらに、震災の被害を受けた施設スタッフに対してこころのケアを行い、心理的不安の緩和に努めていきます。

合わせて、炊き出しの役割が終了した後も、施設スタッフが活動を通して身につけた技術によって、収入を得ることができるような仕組みづくりも目指します。施設スタッフ自らが、例えば焼き菓子やドライフルーツの販売といったような次の事業を立案・実行できるよう、コンサルティングセッションを行うなどのサポートを行います。

始まったばかりのプロジェクトですので、これからも情報発信を続けていきます。
引き続き、皆様のご関心をお寄せ頂けましたら幸いです。

ハタイ県トルコの南側中心に位置するハタイ県(右下地図の黄色い部分)。この地震による被害の約4割を占めるともいわれています。

TK_①WhatsApp Image 2024-03-08 at 17.10.32 (1)支援対象候補のこちらの炊き出し施設では、簡易テントを建て、その中で炊き出しを実施しています。

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こちらの候補施設では、コンテナを設置し、炊き出しを行っています。


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