139人、120人、157人、132人・・・
ザータリ難民キャンプに関して、UNHCRが2週間に1回発行するレポートから、ある数値を最近2か月分抜き出してみました。
さて、これは、何の数でしょう?
実は、これは2週間の間にキャンプ内で生まれた赤ちゃんの数。毎日、ざっと、約10人の赤ちゃんが誕生しています。
ザータリ難民キャンプの住民、約8万人のうち、約20%が4歳以下の幼児です。毎日、新生児が難民キャンプの中で誕生し、ここで成長していきます。
難民キャンプでの子育てについて、二家族に聞いてみました。
タイム(6か月)のお母さんの話
「上の子ダナが生後2か月の時、キャンプに来ました。タイムはキャンプ内の産院で出産しました。戦争の中、爆撃で破壊された病院の地下でダナを出産した時よりも、キャンプでの出産の方が、安心でした。ここは安全で、学校や病院のサービスもあり、キャンプでの子育てに、特に不安はありません。将来、平和になったら、シリアのダマスカス郊外の故郷を、子どもたちに見せたい。ダナもタイムも、一度もキャンプの外に出たことはありません。」
アラ(3歳)のお父さんの話
「子どもは3歳から20歳まで10人。末の子のアラは、キャンプで生まれ、キャンプの外に出たのは3回ぐらい。近くの親戚の農園に連れて行った。アラは動物が大好きで、農園では、暗くなるまで牛や羊を眺めていた。キャンプからの外出には許可が必要で、交通費もかかるので、めったに子ども達を連れて外出はできない。ここの生活は囚われの身のようで、子育ては難しい。上の息子3人は、学校をやめてしまった。将来が心配なので、職業訓練を受けさせたい。」
難民キャンプで生まれ、成長する子どもたち。一人ひとり、今後、どんな人生を歩んでいくのでしょう。それぞれの個性や能力が尊重され、前向きな希望が持てるように、そしていつか故郷を訪れることができるようにと、願います。
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「いつか世界で戦えるチームにしたい」──2016年9月、欧州サッカー連盟(UEFA)などの支援により、ザータリ難民キャンプにスポーツ施設が完成。そこで女子サッカーチームのコーチを務めるアマール・モハマッド・ホウシャン(40)は、冒頭のような意気込みを語る。
美しい映像と音楽でザータリの日常を伝える動画では、長年、コーランの修復を生業としてきた老人にフォーカス。凄惨な避難の経験を振り返りつつ、難民キャンプでの希望を静穏に語る。
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アマール・モハマッド・ホウシャン(40)は、幼い頃からサッカーが大好きで、いつか女子サッカーチームを作りたいと考えていた。
慣習や伝統に自分の夢が妨げられるなんて、許せなかった。通りで石を投げつけられようと、彼女が決意を変えることはなかったし、むしろ、これを挑戦と受けとめてさらなる努力をした。ホウシャンは強い女性だ。
【ザータリ難民キャンプの女子サッカーチームのコーチを務めるアマール・モハマッド・ホウシャン(40)】PHOTO: SUNDUS AL-HARIRI / THE ROAD
2016年9月、UEFAなどの支援により、ザータリ難民キャンプに「ハウス・オブ・スポーツ」という運動施設ができ、ホウシャンはそこでコーディネーターとして働きはじめた。彼女や他の女性たちの啓発活動によって、スポーツをする女性が増加したという。
さらにホウシャンは、念願だった20歳以上の女子サッカーチームを結成し、コーチに就任した。
「仲間と協力してメンバーを集め、女子サッカーへの理解を広めてきました。この取り組みは非常にうまくいっています」とホウシャン。
彼女のチームはすでにいくつかの大会で優勝しており、さらに上を目指すべく練習に励んでいる。最近、15歳以下の女子チームも結成した。
ホウシャンはこれまでの半生を次のように振り返る。
「子どもの頃からサッカーが大好きでした。サッカーの試合観戦が何よりも楽しくて、いつかコーチになることが私の夢でした。正直、家族や周りの人々から私の夢はよく思われず、さまざまな批判を受けました。でも、気にはなりませんでした。私の夢は女子サッカーチームを作ること、ただそれだけでしたから」
だが、その道は決して平坦ではなかった。ホウシャンはこう続けた。
「道を歩けば、人に石を投げられました。シリア人社会は保守的で、女性がサッカーをすることは受け入れがたいからです。しかし、いったい何が悪いというのでしょうか? 女子チームは、女子同士で試合をするというのに。
私には夫と5人の子どもがいますが、夫は理解してくれていますし、子どもたちにはシリアにいた頃からサッカーを教えてきました」
今後の目標は? という問いにホウシャンはこうこう答えてくれた。
「プロレベルの女子サッカーチームを作りたいです。世界的強豪と言われるほどの。難しいことではありません。固い決意は、不可能を可能にします」
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00:04-00:20 傷んだコーランを修復すれば、読んだ誰かがこう言うだろう。「これはいい。読みやすい」
00:28-00:47 私の名前はアブドゥラ・イッサ。(シリア南西部の)ダルアーから来た。1938年生まれだ。2013年2月2日の午後2時、家族とともにヨルダンのザータリ難民キャンプに到着した。
00:49-00:55 あれから4年と20日の月日が過ぎた。これらのコーランには抜け落ちたページがたくさんある。
00:56-01:12 シリアにいた頃は、コーランの修復が私の仕事だった。ここでも同じだ。モスクに行き、コーランを修復し、自宅に戻る。
01:22-01:40 誰かに修復方法を教えたいと、イマーム(イスラム教の聖職者)に言った。古くなったコーランを受け取ると、まずは損傷具合を調べる。そして、修復をする。
01:42-01:56 テープやのりを使って。このようにテープを貼り、直す。こちらも同じように。
02:25-02:32 (私は難民)キャンプに暮らしている。神のご加護により、皆と同じように。ここでは、皆、同じような暮らしだ。
03:07-03:16 お金はないが、キャンプにあるすべてのモスクを訪れる。シリアにいた頃は、神のご加護により、自分の資金でコーランを直していた。私のお金は神のものだ。
03:51-04:02 いまは賃金をもらっている。神の本を救うことで、神が喜んでくださったと感じる。
04:15-04:27 妻と息子とここで暮らしている。18人の子どもを授かった。6人の息子と12人の娘だ。(シリアにいる子どもたちは)どうしているか、数日おきに電話している。
04:30-04:36 10人はダマスカスに、1人は(ザータリ難民)キャンプにいる。全部で11人。 7人は亡くなった。
04:37-04:44 5人は病気などで小さい頃に亡くなった。残りの2人は戦争で死んだ。
04:47-05:03 妹の家に車に向かう途中、正面から銃撃された。車には運転していた息子、その母親と妹が乗っていた。息子は胸に2発、妹は首に銃弾を受け、亡くなった。
05:05-05:14 母親は指を撃たれたが、回復した。しかし、そのけがのせいでキャンプに来られなかった。
05:16-05:28 私たちは神の子。神のご加護で、御許に戻る。私は神に生命を捧げたい。
05:43-05:51 神のご意志で、よき最期を迎えたい。私にとっては、コーランの修復が最良のことだ。
06:02-06:15 シリアに戻ること、子どもたちが安全に暮らすことを望んでいる。私の人生に残されたのは、コーランを修復することだ。
06:16-06:18 シリアに戻り、モスクをめぐり、生命が尽きるまでコーランを修復したい。
The Road ×クーリエ・ジャポンの記事はこちらからもご覧いただけます。
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ザータリキャンプは25℃を超す日々が増え、春を早々と通り越し、初夏の気候になってきました。暖かくなってくると人びとの活動も増えていきます。
例えば、このピザ屋さんは、住民や支援関係者から注文を受け、配達で大忙しのようです。
オーブンにいれて、ピザを焼き上げていますね。ここのピザは美味しいです。
ピザを焼くために、火を使っています。
さて、ここ最近のもう一つの気候の変化は、湿度です。とても乾燥していて、喉も皮膚もすぐにカラカラになります。もし火事が起これば、瞬く間に火がキャンプ内に広がってしまうでしょう。
そのようなことが起こらないように、先月、ヨルダン治安当局による消火器訓練が実施されました。受講者は、キャッシュ・フォー・ワークという有償ボランティア活動にてキャンプの至る所で仕事をしている住民を対象としました。
【JENの支援活動に参加しているキャッシュ・フォー・ワーク労働者】
キャンプが設立された2012年夏当初より、JENはどのようにして難民の方々を巻き込みながら自立のシステムを導入できるか熟考してきました。自分のコミュニティは自分で守る、という気概を住民の方々から感じられたこの訓練。自立を促す、小さなステップではありますが、とても大事なステップに立ち会えたことを嬉しく思います。
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シリアの昔ながらの慣習が根強く残るザータリ難民キャンプでは、近頃、「女性が自転車に乗っていいのか?」問題が人々を賑わせている。男女それぞれの熱い意見を、男性記者が取材した。
大好評の動画シリーズでは、シリアの伝統音楽「アラーダ」を復活させた音楽家たちを紹介。華やかな衣装に身を包み、高らかに民謡を歌い上げる彼らの姿からは、故郷を離れても決して伝統を絶やさないという強い決意が伝わってくる。
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「ザータリ難民キャンプで初めて自転車に乗ったときは、恥ずかしかったです。みんなが私を見ていましたから」
15歳の少女ヌール・ムスタファは、イベントで自転車に乗ったときのことをこう振り返る。だが結局のところ、彼女は大勢の目を気にせず、風を切りながらぐんぐん進んでいく自転車の爽快感を楽しむことができた。
その日は他にも15人ほど女の子がいたので、それに勇気づけられたのだ。
ヌールが参加したのは、難民キャンプで男性にだけ自転車が提供されたことに対する抗議イベントだった。
「ここで、私みたいな女の子が自転車に乗っていると、じろじろ見られるし、陰口も叩かれます。でも私は、自転車に乗ることをやめるつもりはありません」
難民キャンプでは、交通手段が限られている。それゆえ、紛争で男性家族をなくした女性だけの家庭では、自転車がないとどこにも行けない。また、ザータリ難民キャンプの敷地面積は設立当初からかなり広がった。そのため、市場からずっと離れた不便な場所に住んでいる人もいる。
ヌールもいつも自転車で買い物に行っている。女性にだって自転車が必要だということを周囲に訴えるため、これからも乗り続けるつもりだ。
彼女は、キャンプで支援活動をしている団体が主催する自転車ツアーに、いまも女友達と参加しているという。
「現実的に考えてください。キャンプでは、自転車以外の移動手段がないんです。女性が自転車に乗ってはいけないという人たちの根拠は、『伝統的にそうだったから』に過ぎません」
ウム・ラフィ(46)も、ヌールの意見に同調する。彼女もまた、自転車に乗っているといつも白い眼で見られるそうだ。
「シリアの伝統では、受け入れられないことでしょう。でも私は気にしていません。男性たちは時間を節約するために、キャンプを自転車で移動しますが、私たち女性にだって当然同じ権利があると思います。この考えが浸透するには、時間が必要でしょうけどね」
男性は、こうした女性たちの意見をどう見ているのだろうか。アブ・イッサ(52)は、シリア社会を象徴するある諺を引用した。
「食べるものは自分の好みに合わせなさい。でも、服はまわりの好みに合わせなさい」
だが、イッサは決して女性の自転車使用に反対しているわけではないようだ。
「我々の社会は保守的です。よっぽどの事情があっても、女性が自転車に乗ることを容認するのは、かなり難しいと思います。
でも私個人は、近い将来それが当たり前になればいいと考えています。女性たちの自信にもつながりますし、誰かが必要に迫られてやっていることを、否定的な目で見るべきではありませんから」
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00:20-00:40 私はジヤード・アブ・ルストム。シリアのホムスから来た。42歳。2014年からここに住んでいる。シリアにいたときのように「アラーダ楽団」を結成した。アラーダとは、愛と喜びと伝統を表現するものだ。
1:23-2:06 はじめは多くの問題に直面した。
(故郷)ホムスにあった楽団のようなものはなかったので、(ここ、ザータリ難民キャンプで)新しい楽団を作った。アレッポ、ダラー、ゴータ、ダマスカス、ホムス等、シリアの各都市から11人を集めた。簡単ではなかったが、神のご加護のもと、うまくいった。
初めは道具や衣装がそろわなかった。また、キャンプで暮らす人々の家計を考え、祝い事で演奏するときでも、ギャラを通常の4分の1に抑えた。
2:08-2:22 タンバリンが買えなかったので、ドラムから作った。グワールという仲間が、ドラムを切って、タンバリンにしたんだ。
2:53-3:02 アラブの衣装には3つのスタイルがある。「ドゥマニヤ」「ハマウィヤ」そして、フランス式だ。
3:18-3:29 パーティーを開き、タマリンドジュースを売り、衣装をそろえていった。1~2ヵ月に1着ずつ衣装を買い足していったんだ。
3:34-3:55 シリアでは、いつもこのタマリンドジュースを入れるボトルと一緒に仕事をしていた。23年間、このボトルを背中に抱えた。もともとは兄がタマリンド売りをしていたが、腰を痛めて続けられなくなった。
初めて背負ったときは、転んでしまったよ。だから3日間、家で背負い方の練習をした。この仕事を愛しているので、手放すことなど考えられない。このボトルは、いつも私と共にある。
4:27-4:50 アラブの衣装を着て通りを歩けば、世界中を両肩に乗せているような気持ちになる。
次の世代にも過去を忘れず、伝統を継承していってほしい。彼らがアラブの衣装をバカにしないように願う。我々の起源であり、受け継ぐべき遺産なのだから。
5:36-5:57 第2、第3の楽団も作りたい。私、アブ・ルストムがいなくても、ここで育った若い世代に伝統をつないでもらいたい。
そして、人々が悲しみや苦難を少しでも忘れていられるよう、幸せと喜びを広げてほしい。
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今回はヨルダンの北部イルビッド県の公立女子校に通う12歳のザイナのインタビューをご紹介します。このインタビューは、シリア難民を受け入れるコミュニティ(ホストコミュニティ)を支援するJENヨルダン事業所の現地衛生促進コーディネーターによって実施されました。
ヨルダンでは、現在も家庭や学校で月経についての正しい知識を伝えられないまま 初潮を迎えて動揺してしまう女の子が少なくありません。このインタビューでザイナが自身の経験を踏まえ、思春期の女の子たちが初潮についてもっとオープンに話し、正しい知識を身につけることが大事だと語っています。
「私の名前はザイナ。12歳です。ヨルダン北部のイルビッド県エイドゥーン地区に住んでいます。月経について自分の経験を話すのはこれが始めてです。これまで誰も月経について聞きませんでしたし、私自身も月経についての話は恥ずかしいと思っていたからです。思春期の女の子のためにも、今回私の経験についてお話したいと思います。月経について率直に話すことで何かアドバイスできればいいですし、恥ずかしがることはないと言いたいです。私の経験から学びを得てくれれば、と思います。」
「私が11歳の時、月経について何も知りませんでした。ただ、宗教の先生が『ラマダン(イスラムの断食月)中に生理であれば断食をしません」『出産後の40日間は断食をしません」と言っていたのは知っています。でも生徒が先生に月経の意味を聞いても、『大人になったらわかります」とだけ言われ、説明はしてもらえませんでした。」
「家では母と祖母は私の目前で月経の話はせず、私がわからないように特定シンボルを使って月経の話をしたり、私の存在を無視して小声で話し始めたりするので、恥ずかしくなってその場を離れていました。」
「ある日学校から帰宅すると、痛みもなく初潮が来ました。母にケガをしたと言ったら、初潮が来た若さに驚いていました。この時は、母は簡単にですが、女の子はある年齢になると初潮を迎えること、またその時の身体の仕組みについても説明してくれました。どうやったら初潮が終わるのかと母に聞いたところ、数日で終わると言い、本当に数日で終わったので、母が生理を止めてくれたとばかり思っていました。」
「生理だった時、母が父に私の初潮について話をしていたのが聞こえました。父は私のために男兄弟と別の部屋を用意してくれ、車で学校に送迎もしてくれました。次の生理が初潮から11か月経って来た時、私は母に腹を立て、生理が来たのは母のせいだと思いました。」
「この時には、母はもっときちんと説明をしてくれました。これはケガではなく、思春期の女の子には普通のことだ、と。母は初めて弟に私用の生理ナプキンを買ってくるよう頼み、弟がむき出しで手に持って帰ってきたのを見て怒っていました。この後、母はトイレに家族全員用と女性用の2つのゴミ箱を用意してくれました。生理用ナプキンと空袋も常備され、母は使用済みのナプキンをどのように捨てるかも教えてくれました。」
「母は私の通学用カバンの中に小袋に入れた生理用ナプキンを忍ばせてくれました。空袋も一緒です。そして、生理中にはお祈りをしないようにと言いました。この時、生理中に神様の名前を言うことさえとても怖く思いました。」
「私の母は素晴らしい人です。でも時折、心を開いて私と個人的なことについて話せないようです。また、私が病気や出血、普通じゃない事柄を怖がっているのを知っているので、2時間おきにトイレに行って生理用ナプキンを変えるように言います。そして常に、トイレを使う前と後の2回、トイレの便座をキレイにするように指示します。それは、私がバイ菌に感染しないためだけではなく、ほかの人にもバイ菌を残さないためです。」
「学校では、私のクラスだと誰も月経について話しません。数人の子は初潮が始まっているはずですが、こういう話をするのはとても恥ずかしいのです。一度体育の時に私の友達の一人が腹痛を訴え、トイレに行ったら初潮だとわかり泣きだしてしまいました。この時は私の通学カバンに入っていた生理用ナプキンをその友達にあげて、母が私に教えてくれたことを説明し、彼女の気持ちを落ち着かせようとしたのでした。」
【インタビューに答えるザイナ】
衛生促進コーディネーター
ウィサム・アル・ジュマイリ
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