シリア難民支援速報

ラマダンに祝福を! 

2017.06.07

イスラム歴の「ラマダン」が5月27日に始まりました。ラマダンのほぼ一ヶ月間、イスラム教徒は日の出から日の入りまで(約16時間)飲食を控えます。

日暮れ以降に親類などの互いの家を訪問し合って共に時間を過ごしたり、食事などをふるまったりと、イスラム教徒にとっては特別な一ヶ月です。

JENは、ザータリ難民キャンプで、女性グループの活動をサポートしています。これは、キャンプ内コミュニティで、お互いに助け合って生きていく環境づくりに貢献するためです。女性たちはグループになって、たとえば、古着からリサイクル品を作りコミュニティの中でそれをシェアするなど、様々な活動をおこなっています。

今日お伝えするのは、そんな女性グループのある活動です。

ラマダン中に、3~4人の女性たちが集まって調理をし、お年寄り、障がい者、ひとり親家庭等、ご近所のこういった家庭に食事を届けました。活動に参加した人の声をきいてみました。

クズマさんは、7人の子どものお母さん。調理グループのメンバーです。

「私たち3人で6家族、25人分のカプサ(アラビア風ピラフ)を作りました。一緒に料理するのは楽しくて、時間はあっという間に過ぎました。イフタール(断食明けの食事)に間に合うよう、食事を届けました。そして、私の家族も、おいしくいただきました」。

 

 

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【食事の準備をする女性の調理グループと、皆でカプサを取り分けているところ】

70歳の未亡人カルマさんは、精神障がいのある55歳の息子と二人暮らしです。火曜日に、調理グループのメンバーのヒンドゥさんとファイザさんが訪問し、翌日、料理を持ってくることを伝えられました。

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【キャンプ内で食事の配達をする女性たちと、食事をうけとる人】

ヒンドゥさん、ファイザさんは「近所にこんなに困っている家庭があることを、今まで知りませんでした。食事を届けることができて、うれしいです」と言います。

カルマさんは「美味しかったです。あたたかい心遣いを受け取りました」と言いました。

ナスラさんは、6人家族です。ご主人と娘さんは、障がいを抱えています。「料理はとても美味しかったです。量も十分だったので、ご近所の他の家族にも分けました。ラマダンには、とてもよい習慣だと思います」。

身近な困っている人びとの役に立てれば、人生の意義を感じることができます。どんな小さなことでも、だれかの役に立てることを探し続けることが大切だと思います。

JENヨルダン、ザータリ難民キャンプ、生計向上支援担当
イプティハル・ハラーシェ

 

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JENでは、皆様からのご寄付を受け付けています。ご協力をよろしくお願いします。

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The Road ×クーリエ・ジャポン|夫とは死別し、娼婦になるしかない…そして男たちからの暴力に耐える日々

2017.06.02

 cj_logo_blue_100px [ 本連載は、クーリエ・ジャポンとの連動掲載です。 ]
ヨルダンのザータリ難民キャンプで創刊された、“難民の難民による難民のための”月刊誌「THE ROAD(ザ・ロード)」。同誌から選りすぐった傑作記事や動画を毎月お届けする。

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第1回目は、女性記者たちが、その波乱に満ちた避難経験やザ・ロードに参加することで掴んだ新しい希望について語る。(ザ・ロードの詳細はこちらから


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故郷と夫を失い、娼婦になるしか稼ぐ方法はない…そんな私が見つけた新しい夢
Text by Mufeeda Al Musri

かつて私たち家族は、シリア南西部の都市ダルアーで平和に暮らしていた。

だが、2011年にシリア内戦が勃発。それからは兵士だけでなく、子どもや老人まで銃弾に倒れていった。戦況が悪化の一途をたどるなか、身の危険を感じた私たち家族は、同年、幼い子どもたちを連れて隣国ヨルダンに避難。シリア国境にほど近い場所にある、ザータリ難民キャンプに身を寄せた。

その当時、私の夫はアサド政権率いる政府軍に拘留されていた。生きているのか死んでいるのかもわからない夫を、私はヨルダンで8ヵ月待った。祖国から遠く離れたここ、ザータリ難民キャンプの仮設テントで、私は誰とも話すことなく子どもたちと孤独な日々を過ごしていた。

そんなある日のこと。追い打ちをかけるように悲劇が訪れた。夫が死んでいることがわかったのだ。辛く、悲しかった。

だが、現実は待ってくれない。幼い子ども達を養うため、私は仕事を見つけて働かなくてはならなかった。来る日も来る日も仕事を探して歩き回ったが、未亡人ができる仕事は娼婦ぐらいしかない。
数ヵ月後、やっとの思いで手にした仕事は、ウェディングドレスのレンタル業手伝いだった。収入が得られて家族を支えられるようになったが、私が孤独なのは変わらない。

満たされない日々を過ごしていたとき、ザータリキャンプで発行されている月刊誌「ザ・ロード」が、ジャーリスト養成ワークショップを開催することを知った。

私はすぐにそれに飛びついた。そして、ワークショップに参加した後に同誌で記事を書くようになった。
ワークショップでは記事の執筆とインタビューのやり方を学び、情報の客観性と信頼性を保持することがいかに大切かを叩き込まれた。いまでは本を読み、インターネットを使いこなすことで、情報収集に励んでいる。

そして、「ザ・ロード」を通して多くの友人ができた。いまの私はもう孤独じゃない。

私は、ジャーナリストの仕事を心から愛している。
内戦が終結し、シリアに帰ることができてもこの仕事を続けていくと思う。

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 長引く避難生活で、男の鬱憤のはけ口にされる女たち
Text by Muna

「絶望」に陥りやすいこの難民キャンプで、私はいつもそれに抵抗しようとあがいていた。

ジャーナリズムこそが、夫からの暴力に苦しむ女性たちを救う最良の方法だと、私は直観的にわかっていた。
だから「ザ・ロード」のジャーナリスト養成ワークショップに参加したのだ。

難民であること、そして難民キャンプでの過酷な生活によって、男たちは激しいストレスを募らせる。
そして女たちは、その鬱憤のはけ口となるのだ。

夫は些細なことで激怒し、暴力を振るい、暴言を吐いて、それで問題が解決したと勘違いする。
彼らは、女性が家事や子育ての面で家庭を支える、かけがえのない存在であることを忘れてしまうのだ。

私の知り合いのオム・アフマッドも、夫の暴力の犠牲者の1人だ。私は彼女が泣き叫んで助けを呼ぶ声を聞いた。

ジャーナリスト養成ワークショップを受けたおかげで、
私はいま自分の書いた記事によって女性たちの声を伝えることができる──
私はそれに大きな喜びを感じている。

私はこれからも、そしてシリアに帰還してからも1人でも多くの「オム・アフマッド」を救いたい。

このザータリ難民キャンプに住む人々が、私の書く記事によって
女性への暴力を根絶することに協力してくれること──それが私の願いだ。
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 映像プロジェクト「IN TRANSIT」 より [ Good Morning Za'tari ]


午前4時──。ザータリ難民キャンプに暮らす人々は、まだ暗いうちからモスクに集まり、祈りを捧げる。
そして夜明けとともに、キャンプはどんどん活気づいてくる。

「シャンゼリゼ」と呼ばれる目抜き通りには次々と出店が立ち、
焼き立てのホブス(シリアのパン)を買い求める人々で賑わいを見せる。

家の台所では女たちが朝食の準備をはじめ、濃いアラビック・コーヒーの香りが立ち込める。
ザータリ難民キャンプの1日が、またはじまるのだ。



The Road ×クーリエ・ジャポンの記事はこちらからもご覧いただけます。
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 cj_logo_blue_100pxクーリエジャポンで連載中のコンテンツを、編集部のご厚意により、JENのウエブサイトでもご紹介させていただいてます。

ザータリ難民キャンプでのトイレの設置と改修

2017.05.25

私はザータリ難民キャンプでトイレの設置・改修事業のアセスメントを担当しているモハマッド・アブ・シアムです。きょうはこの事業についてお話したいと思います。

ザータリキャンプは2012年に開設され、ここに避難してきた人びとは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から提供されたテントに住んでいました。トイレやシャワーを含む公共の水衛生設備や台所もUNHCRによって作られ、キャンプ内の地区中で、共同で使われました。しかし、時間の経過により、共同トイレの不便さや、夜間の安全上の問題もあり、キャンプの住人は自分たちの住まいの中にトイレを設置し始めました。

自分でトイレを作る人もいれば、そういった技術を持っている人に頼んで作ってもらう人もいました。その結果、共同トイレを使う人が徐々に減り、それにつれて共同トイレはすたれていき、使用されなくなった施設は解体されました。

その一方で、トイレ設置の技術やお金がないために、自分の住まいにトイレを設置できない家族もいました。また、何とかトイレを設置できたとしても、床に穴を開けただけのもの、周りに壁がないもの、換気設備がないものなど様々で、どれもキャンプの水衛生支援関連団体により定められた最低基準を満たしていないものでした。

JENはこのような問題を解決するためにトイレの設置・改修事業を始めました。
トイレ事業は、家庭のトイレ事情を改善することにより、難民たちが尊厳を持って生活できるよう、2016年4月にスタートしました。第一段階では自分たちのトイレのない世帯のためにトイレを設置し、第二段階では、キャンプ内の最低基準を満たしていない既存の世帯のトイレを改修しました。

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【事前調査の中で訪ねた家の、壁もドアも屋根もないトイレ】

事前調査チームは、メンテナンスチームのスタッフ3人と地域動員チームのスタッフ3人から構成されていて、事業実施前に研修を受けました。事前調査は二人一組で、設定された基準に基づいて行いました。まず地域動員チームのスタッフにより改善が必要なトイレかどうかを事前評価し、次いで住民から必要とされていることや計測等技術的な事前調査を行いました。

事業を進める中で多くの困難に直面しましたが、中でも、私たちの事前調査を地域が受け入れてくれるかが大きな挑戦の一つでした。なぜなら住人である難民の人びとは、トイレの改修工事のタイミングでキャンプ内では入手の難しい、住宅建材などを手に入れて少しでも自分たちの生活環境を良くしたい、とういう思いがあるからです。

私たちが評価対象にした約1850世帯の内、50世帯がJENのアセスメントを断り、また部分的な改修も断りました。私は責任者としてその家族を訪ね、JENの基準や彼らの家のトイレの状態について説明しました。

ある家族は考えを変え、私たちの提案を受け入れましが、ある家族は屋根やドアなど新しくしてもらいたい部分をわざと壊し、JENのスタッフを説得して欲しい建材を手に入れようとしました。

以下は、難しかった事例です。
私たちの事前調査によると、その世帯はトイレ設置にドア1枚と壁1枚が必要でした。彼らは最初この設置提案を受け入れていたものの、工事当日に考えを変え、トイレの設置を今ある場所でなく、家の外に新設することを求めてきました。私はその家族を再度訪ね、JENの基準と彼らの家のトイレの状態を説明しました。しかし、彼らはJENの決定を受け入れず、トイレの改修を断りました。結果的に私の上司の説得も、メンテナンスチームの説得も成功しませんでした。

もう一つの大変だったのは時間が限られていることでした。この事業では、JENが担当するザータリキャンプ3地区全てを13カ月で網羅しなければなりませんでした。一軒一軒の家庭の状況は様々で、メンテナンスチームはそれに合わせて異なるやり方で仕事をしなければなりませんでした。事業の期限を守りながらも仕事の質を保つため、メンテナンスチームのスタッフ数を増やし、さらにトイレ設置後の事後調査も実施しました。

事業期間を通して、2300世帯で事前評価を行い、1850以上の世帯で技術の事前調査を実施しました。そして、新しいトイレを168基設置し、1783基のトイレを改修しました。この結果はチームワークによる大きな成果と言えます。

私はJENで働き始めて2年になります。JENのスタッフとしてシリア難民を支援できることを誇りに思います。トイレ事業のあと、現在は上下水道網の建設サポートに携わっています。JENでの仕事を続け、人道支援の分野でさらに経験を積みたいと思っています。

JENヨルダン
コミュニティ モビリゼーション ネットワーク・オフィサー
モハマッド・アブ・シアム

 

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7The Road ×クーリエ・ジャポン|5歳でPCをマスター「夢は大学進学」の難民おばあちゃんの言葉が強い!

2017.05.17

 cj_logo_blue_100px [ 本連載は、クーリエ・ジャポンとの連動掲載です。 ]
ヨルダンのザータリ難民キャンプで創刊された、“難民の難民による難民のための”月刊誌「THE ROAD(ザ・ロード)」。同誌から選りすぐった傑作記事や動画を毎月お届けする。

20170517_JD_75歳でPCをマスター_large5現在75歳のウム・モンゼル。50歳で読み書きを覚え、70歳を過ぎてPCの使い方をマスターしたCOURTESY OF THE ROAD THE ROAD

難民という境遇や年齢にも怯むことなく自分の夢を追求し続ける75歳の女性の物語をお届けする。動画はいつもの「逆」で、取材する側の「ザ・ロード」の記者たちにフォーカス。ジャーナリストという新たな希望を見つけた彼らの姿は、見る者にも勇気を与える。
ザ・ロードの詳細はこちらから

 

知識は光、無知は闇──75歳のシリア難民の挑戦
Text by Mohammed Al-Dayyat

「あきらめなければ、どんな難しいことだってできる。でも、あきらめたら、どんな簡単なことだってできやしない」

シリア南部ブスラ・ハリール村出身のウム・モンゼルはこう語る。現在75歳の彼女は、ザータリ難民キャンプの第9地区で暮らしている。若い頃から旺盛だった彼女の知識欲は、避難生活でも衰えることはない。「ザ・ロード」の記者が、「学ぶ」ための努力を重ねてきた彼女に取材した。

「子供の頃、両親に反対されて学校に行けなかった。教育は必要ない、どうせお嫁に行くんだからと言われてね。

20歳になって『識字教室』の存在を知り、どこかでやっていないものかと1年間、探し回った。21歳のときにようやく見つけたのだけれど、通いはじめて20日もたたないうちにその教室は終わってしまった。その後も別の教室を探し続けたけど、残念ながら見つからなかった。

結婚して子供ができてからは、テレビでよく一緒にコーランの朗読を聞いた。

コーランを読めないのが悔しくて、涙が出た。

先生方に、子供たちと共に授業に出席したいと頼んだけれど、断られてしまってね。

50歳になって、また識字教室を見つけることができて、通いはじめた。他にもたくさん私のような年配の人たちがいた。3ヵ月通って、証書をもらえたけれど、家の仕事のためにやめざるをえなかった。

子育て、畑の水やり、家畜の世話……主婦は忙しいからね。

そうこうしているうちに、シリアで内戦が起きてしまった。73歳のとき、私は1人でここザータリ難民キャンプに避難した。

あるNGOが運営する図書館に本を借りに行ったら、子供達が図書館のパソコンで遊んでいるのを見てね。事務所に行って、パソコン教室を始めてほしいと頼んだんだよ。

数ヵ月後に再びそのNGOを訪ねたら驚いたわ。パソコン教室が始まっていてね。

私も学びたいとお願いしたら、年齢のせいで一度は断られた。でも、『パソコン教室は私のアイディアだから、私にも学ぶ権利がある』と交渉したら、嬉しいことにOKしてくれた。

パソコンのOSは英語版だったから、使い方を覚えるまでは本当に大変だった。でも、いままで数えきれないほど苦労してきたからね。あきらめずに1ヵ月半の間、週2回パソコンの使い方を勉強したんだ。

もしお金があれば、復習のためにパソコンを買いたいんだけどね。

いまの夢は世界中の言葉を習うこと。大学にもぜひ行きたい。もし歩いて通わなければいけないとしても、自分の足で歩いていくよ。

知識は光、無知は闇だ。いつかシリアに帰ることができたら、光のなかで残りの人生を送りたい。それが私の夢」

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難民の声を世界に届けるために──「ザ・ロード」の記者たち


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00:42-00:52 毎月、月刊誌「ザ・ロード」を配ります。大雨の日も風の強い日も。僕たちは、いつでも読者と一緒です。

00:58-01:00 僕はアフマド・アル・ナトゥール、21歳です。

01:01-01:11 月刊誌「ザ・ロード」でボランティアをしています。「ザ・ロード」は難民の生の声や困難な状況を伝えるための月刊誌です。

01:18-01:22 「ザ・ロード」がおこなうジャーナリズムのトレーニングと実習で、レポートや記事の執筆、写真の撮り方を覚えました。

01:23-01:28 難民の声を世界に届けるために。

01:31-01:34 「ザ・ロード」が希望をくれました。

01:35-01:39 将来シリアに戻ったとき、自分の家族や国を変えていくことができると。

01:44-01:47 私はランド・アルハリーリ、15歳です。

01:48-02:01 (「ザ・ロード」で働くことで)写真撮影、取材、詩や記事、レポートの書き方を習いました。

02:18-02:26 この雑誌のおかげで、いつかシリアに戻ってから祖国を再建するという希望が生まれました。

02:32-02:34 私は「ザ・ロード」が大好きです。

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水供給ネットワークと排水路の建設

2017.05.11

ザータリ難民キャンプでは、世界でも類をみない難民キャンプでの大規模な上下水道の建設が行われています。この工事が完成する予定の2018年には、井戸から直接各住居まで飲料水が送られ、各住居の汚水はキャンプの南側に位置する汚水処理場に送られることになります。

そうすることで、現在、ほぼ毎日のように給水トラックがキャンプ中に設置されている貯水タンクに水を入れることも、汲み上げトラックが地下にある浄化槽から汚水を汲み上げる作業もなくなり、大幅なコスト削減や交通事故の削減が期待できます。

JENの大きな役割は「コミュニティを巻き込んだ建設サポート」や「建設業者のモニタリング」をすることです。

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【例えば、安全がしっかり確保されているかをチェックすること】

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【例えば、住民に事前に工事スケジュールや注意事項を伝えること】

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【例えば、ヨルダンの建設業者に雇われた、キャンプ住民の雇用ルールがしっかり守られているかチェックすること】

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【週末もJENスタッフは出勤して、モニタリング活動を実施します】

難民キャンプ住民、支援団体、ヨルダン建設業者、キャンプ内の警察が一丸となって取り組む大型建設プロジェクトです。JENは、いかにして住民を巻き込み、住民が自分のコミュニティを良くするために積極的に参加できる仕組みを考えながら、他の関係者と協力しながらこのプロジェクトの完成に貢献していきます。

 

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