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活動内容

1.旧ユーゴスラビアの基本情報

(1)概要

国名 ボスニア・ヘルツェゴビナ  地図はこちら
国名(英語表記) Bosnia and Herzegovia
首都 サラエボ
人口 438万人('91年調査。国外に多くの難民がおり、国内の人口はこれよりもかなり少ない)
面積 5.1万km2(日本の約7分の1)
人種・民族 ムスリム人、セルビア人、クロアチア人セルビア人(37.1%)、ムスリム人(48%)、クロアチア人(14.3%) 
(出典:CIA HP The World Factbook 2000)
言語 ボスニア語、セルビア語、クロアチア語
宗教 イスラム教、セルビア正教、カトリック 他

国名 クロアチア共和国  地図はこちら
国名(英語表記) Republic of Croatia
首都 ザグレブ
人口 444万人(2001年国勢調査)
面積 56,542km^2(九州の約1.5倍)
人種・民族 クロアチア人(89.6%)、セルビア人(4.54%)、
言語 クロアチア語、セルビア語 等
宗教 カトリック、セルビア正教 等

国名 セルビア・モンテネグロ  地図はこちら
国名(英語表記) Serbia and Montenegro
首都 ベオグラード(議会・政府の在地。憲法的憲章上規定された首都はない)
人口 1,060万人
面積 102,173km^2(日本の約4分の1)
人種・民族 セルビア人、モンテネグロ人、アルバニア人
言語 セルビア語
宗教 セルビア正教、イスラム教、カトリック 等
出典:外務省ホームページ

(2) 紛争の状況

内戦の勃発、そしてユーゴスラビア連邦共和国の悲劇

連邦制の維持に努めていたチトー大統領の死後、ユーゴスラビア連邦共和国は、社会主義体制から市場経済と民主主義体制への転換期を迎えました。この政治・経済システムの転換は、急激な社会情勢の不安定化を引き起こしました。

その結果、各共和国において、民族主義を利用して自らの権力を強めようとする政治家が台頭したこともあり、内戦が勃発しました。そして、それまで平和に共存していた人々が、かつての隣人同士で戦わざるを得ない状況に陥りました。この内戦により、 10年間で200万人とも言われる人々が難民や国内避難民として故郷を追われ、生活手段を失い、心に大きな傷を負いました。

(3)ニーズ

度重なる紛争と、変わらないニーズ「心のケアと自立の支援」

JENが旧ユーゴスラビアで活動を開始した1994年は、ボスニア・ヘルツェゴビナでまだ紛争がつづいており、クロアチア及びセルビア・モンテネグロの両国に、多くの難民が避難していました。難民は、「帰れるかどうかわからない」不安を抱え、また、長引く難民生活の中、心のケアと自立のための支援が求められていました。

1995年のボスニア・ヘルツェゴビナの停戦合意後は、故郷に帰還してくる難民及び国内避難民の再定住が進むにつれて、人々の生活再建のニーズが高く、また、少数民族の帰還の促進が大きな課題でした。

1998年には、コソボでの紛争が激しくなり、新たな難民・国内避難民の発生、さらにNATOによる空爆、アルバニア系住民の難民化とその帰還、セルビア系住民の国内避難民化など、次々と起こる悲劇の度に、支援の届きにくい地域にも多くの難民・国内避難民が避難していました。

ようやく戦火がおさまった 1999年後半以降にも、破壊しつくされた国の復興・再建、帰還民の再定住、難民の帰還、難民の第三国定住など多くの課題が山積していました。

2.旧ユーゴでの活動

(1)JENの活動方針

中立的な立場で、その地でその時に最も必要とされる支援を

JENは、当初から各地に5つの事務所を同時に開設することで、主要3民族(クロアチア、セルビア、ムスリム)に対して中立的な立場で平等に支援するように心がけました。ボスニア・ヘルツェゴビナで活動を立ち上げた際にも、2つのエンティティーそれぞれに活動拠点を置いて活動しました。

また、支援の対象を「難民」や「帰還民」に限るのでなく、難民を受け入れている地元の住民や、紛争地に留まり続けた住民など、紛争により「厳しい生活を強いられている人々」を対象に支援を行いました。

旧ユーゴスラビア各地で支援を行いましたが、それぞれの地域で、そのときに最も必要とされる支援を行ってきました。そのため、支援内容は多岐に渡っています。 JEN国際スタッフは主に調整役を務め、心理学者、ソーシャルワーカー、建築家、獣医、技術指導者などは、難民や地元住民から採用して事業を行いました。そのため、多岐にわたる支援活動が可能となりました。

(2)これまでのプロジェクト

心のケア

心理社会的プロジェクト、子ども劇場、ゆめポッケ配布ほか

例)心理社会的プロジェクト
(クロアチア、セルビア・モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ)

紛争により家族や財産を失った悲しみから立ち直るには時間がかかります。また、紛争の長期化で「故郷に帰れるかどうかわからない」という不安を抱えている難民、破壊された故郷に戻ってきて、ゼロからの生活再建に不安を抱えている帰還民。それぞれの地域で様々な不安や悲しみに耐えている人々を対象に、心のケアを目的としたグループセラピーワークショップを行いました。活動や対象年齢は様々で、編み物、スポーツや絵画などそれぞれのコミュニティーセンターで希望の多い活動が選ばれました。家にこもっていた人が、家を出ることが最初の一歩。活動に夢中になることで悲しみに向き合わずに済むひとときを提供するのが狙いです。一緒に活動する仲間と出会い、悩みを分かち合い、励まし合い、帰還や生活に関する情報を共有しました。

例)子ども劇場(クロアチア)

JENが1994年にはじめた最初のプロジェクトの一つです。オシエクにある現地の子ども劇場と協力して、子ども劇場、難民/避難民センター、NGOのコミュニティーセンターなどで数多くの公演が行われました。定番の「パロディー版赤ずきん」は、子ども達の笑いを誘い、日常となった辛い避難生活を忘れ、笑顔あふれるひとときが生まれました。

例)ゆめポッケ配布( クロアチア、セルビア・モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナ)

日本全国の親子が手作りの巾着袋に文房具やおもちゃなど思い思いのものを詰め、遠い旧ユーゴスラビアに「ゆめポッケ」を通して思いを届けました。毎年、日本から「ゆめポッケ」を届ける「ゆめポッケ隊」が現地を訪問して、「ゆめポッケ」を手渡すと共に、歌や踊り、スポーツなどを通して子どもたちと交流を持ちました。

医療

薬局/移動薬局、難民収容センター内診療所医療器具支援、緊急医療支援、歯科医療ほか

例)薬局/移動薬局(クロアチア)

セルビア共和国との国境沿いにあるブコバルは、激戦地で町は激しく破壊されていました。 JENは1994年より、政治的事情により公的医療サービスの空白地帯となっていた同地で唯一のNGOとして活動を行いました。近郊の医療施設が紛争により破壊され、日常的に薬を必要とする人々にとって生きるために不可欠な支援でした。

難民キャンプ運営/支援

難民キャンプ水道修復、難民キャンプ電気配線、難民キャンプ運営/支援ほか

例)難民キャンプ運営/支援(クロアチア)

1995年ボスニア国境沿いの地域で、国連保護軍の敷地内にあるボスニア難民を収容するトランジットキャンプをUNHCRとの協力で運営しました。この地域における唯一のNGOでした。600人に及ぶ難民が滞在するキャンプでは、食糧/衛生用品などの物資配布、トイレ/シャワーの修理、テントの設置、診療所の運営など運営全般を担いました。

社会的弱者支援

高齢難民家庭訪問、児童保護事業、老人ホーム家具・暖房器具提供、身体障がい者施設ミニバス提供、聾唖者支援、視覚障がい者施設支援、知的障がい者施設支援、孤児の週末受入家庭訪問、孤児院支援ほか

例)高齢難民家庭訪問(クロアチア)

ボスニア国境沿いのスラボンスキ・ブロッドで、ボスニアから避難してきた高齢難民を対象に、医師、ソーシャルワーカーによる家庭訪問を行いました。 300人にのぼる対象者の数が、2004年に最後の一人となるまで支援を行いました。ボスニアに帰還できた難民の数も少なくないですが、多くは残念ながら故郷に戻ることなくクロアチアで生涯を終えました。

平和構築・民族共生

民族間和解促進、養蜂事業、平和教育ほか

例)民族間和解促進(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

1995年のデイトン合意後、まだ分断された2つのエンティティーを行き交う人も少なく、故郷を訪れることが憚れた1996年に、絵画の展示会やコンピューターコースを通して、自らの故郷を一時的に訪れる機会を提供しました。1997年以降は、異なる民族が共に参加するサマーキャンプやスポーツ大会を開催しました。

例)養蜂事業(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

帰還が少しずつ進む中、平和構築/民族共生を視野に入れた収入創出事業を行いました。異なる民族がともに研修に参加し、研修後、蜂の巣箱など事業立ち上げに必要な物資が提供されました。共有する機材は、参加者が設立した養蜂組合で保管され、異なる民族による共同作業が、事業終了後も継続される土台を生みました。

収入創出

ブラックベリー栽培事業、乾燥ハーブ栽培/加工事業、乳製品加工工場支援、農耕具配布事業ほか

例)家畜配布事業(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

2つのエンティティーの境にあることでお互いの民族が破壊を繰り返した激戦区シポボで帰還を促進し、帰還民の定住を支援する為に、収入創出事業として地元の人が戦前から知識/技術を有していた家畜の配布を行いました。山羊/羊/牛/豚などそれぞれのニーズにあった家畜を配布しました。



例)マイクロクレジット(セルビア・モンテネグロ)

難民が、自らの技術と経験を生かして、自立した生活を営むことが出来る様、個々のニーズに即した活動に対して小規模の無利子貸し付けを行いました。大工や自動車修理、養蜂家、養鶏、墓石彫りなど職業は様々で、自分の技術を活かした職業を再開し、家族を支えることができる彼らの喜びは、言葉で表せないほどでした。

建物再建・建築

難民センター修復、仮設住宅設置、学校修復、診療所修復、リハビリセンター修復、住宅修復ほか

例)仮設住宅(コソボ)

NATO空爆後、続々と帰還してきたアルバニア系住民は、破壊し尽くされた故郷を目の当たりにしました。 コソボは10月には零下になり、積雪も多く、家を破壊された人々の越冬が危ぶまれます。そこで、神戸の震災で使用した仮設住宅200戸を、特に破壊の激しいコソボ北西部デチャン周辺に建設しました。帰還民は仮設住宅で越冬しながら家屋を修復しました。

緊急支援

衛生用品配布、ベビー用品配布、炊き出し、食糧配布ほか

例)コソボ避難民を対象とした緊急衛生用品配布

コソボ紛争でモンテネグロに避難した避難民を対象に、衛生用品の配布を行いました。難民の数が多いマケドニアやアルバニアに支援が集中する中、モンテネグロで支援を行った団体は極端に少数でした。国際機関は欧米で物資を調達しましたが、 JENはセルビア・モンテネグロにて調達を行ったため、支援を迅速に現地に届けることが出来ただけでなく、避難民を受け入れて財政的に苦しむ地元コミュニティへの経済効果もわずかながら生むことができました。

職業訓練

職業訓練校修復、職業訓練奨学金支援、職業訓練支援ほか

例)職業訓練奨学金支援

避難した土地で、地元の市場ニーズに応えた技術を身につけるため、事前に雇用を確保した難民を対象に、職業訓練校通学のための奨学金を支援しました。人材が必要とされていたバス運転手の免許を取得するため、バス運転教習所への通学及び免許取得の費用を支援しました。